随想 空即空(連載21) 清水正

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随想 空即空(連載21)

清水正

 

 正宗白鳥の信仰と懐疑を考える上で、白鳥が死をどのようにとらえていたのかを知ることは重要である。白鳥は死に対して恐怖を感じている。白鳥は幼少時、祖母から地獄の話などを聞いていて、死に対する拭いがたい恐怖感を植え付けられた。幼少時に受けた影響は、その人間の一生を支配する。仏教の地獄図がトラウマとなって、白鳥は生涯にわたって死の恐怖を克服することはできになかった。死に対する恐怖は体感的なものであり、理性や知性によって解決できない。その意味では、白鳥は幼少時から背理的なものを背負い込んでしまったと言えよう。白鳥が内村鑑三の演説や著作に心酔し、キリスト教に入信する決意を固めた要因の一つに死の恐怖からの解放願望があったかも知れない。キリストはラザロの姉マルタに言う「われは蘇りなり、命なり、われを信ずるものは、死すとも生くべし。すべて生きてわれを信ずるものは、永遠に死することなし。なんじこれを信ずるや?」(『罪と罰』より米川正夫訳)と。キリストは彼を信じる者に永遠の命を約束する。死の恐怖に捕らわれていた二十歳前の白鳥がどんなに尤もらしい理屈や弁証法よりも、このキリストの言葉にすがりつこうとしたことは理解できないことではない。

 正宗白鳥は「欲望は死より強し」の中で次のように書いている。

 

  私が何かにつけて思い出すのは岩野泡鳴であるが、彼は、或時、私の煮え切らない死生観を聞いているうちに、「死ぬ奴は馬鹿だ」と喝破した。そこには寸毫も戯談らしいところはなく、熱意誠意を、顔面に現わしていたのであった。一瞬一瞬を生きる事がすべてであって、死の影を伴う生は生でないと云うのである。ニーチェの謂う超人なんか、馬鹿の寝言である。「永遠の輪廻」なんか愚人の妄想である。私は泡鳴の言に反対する気持にもなれなかった。しかし、私は泡鳴がそれに安んじているようにそれに安んじてはいられなかった。私の「生」にはつねに死の影が伴うのであった。泡鳴はまた、「おれの頭が役に立たなくなったら、舌を噛んで死ぬる」と、これも寸毫の戯談気もなく、熱意を目鼻に現わして極言した。死ぬるにも舌を噛んだり、腹を切ったりしないでもよかろうと、私はひそかに思っていた。(全集第九巻471)

 

 引用してつくづく思ったが、白鳥がここで書いて紹介している岩野泡鳴の言葉が何を言っているのかさっぱり分からない。意識せずに読み飛ばしてしまえばなんとなく分かったつもりでいられるが、引用して立ち止まると、いったい泡鳴は何を言っているのかさっぱり分からない。「死ぬ奴は馬鹿だ」この言葉がどんな会話の中で発せられたのか、白鳥は少しも説明しないので、まったく意味が分からない。人間は誰しも死を免れない存在なので、「死ぬ奴は馬鹿だ」と言われれば、要するに人間は一人の例外もなく馬鹿ということになる。「死ぬ奴」を〈自殺する奴〉と解すればそれなりに、泡鳴の言わんとすることが分からないでもない。しかし、白鳥の説明のない文章を読んだだけではそのように解釈することもできない。

  「一瞬一瞬を生きる事がすべてであって、死の影を伴う生は生でない」これも分からない。「一瞬一瞬を生きる事がすべて」であることが、どうして「死の影を伴う生は生でない」につながるのか。なぜなら「死の影を伴う生」を生きることもまた「一瞬一瞬を生きる事」の中に包含されると考えることもできるからだ。わたしなどは「一瞬一瞬を生きる事」の中に「死ぬ」ことも含まれるので、要するに白鳥が記す泡鳴の言葉に関しては疑問が次々にわき起こってくる。「ニーチェの謂う超人なんか、馬鹿の寝言である」、なぜ「超人」が「馬鹿の寝言」なのか。わたしにはさっぱり分からないが、白鳥は黙って聞いていて泡鳴の言わんとすることが理解できていたのだろうか。「永遠の輪廻」がなぜ「愚人の妄想」なのか、なぜ「死の影を伴う生は生でない」のか。いずれもさっぱり分からない。こんなことをいちいち書き連ねていると、泡鳴に説明しなければ分からないおまえは大馬鹿野郎だと怒鳴られそうだが、分からないことを分かったつもりになって読み過ごすことはできない。

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清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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