随想 空即空(連載20) 清水正

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随想 空即空(連載20)

清水正

 

 わたしはドストエフスキーを読み続けているが、一度としてキリスト教に入信しようと思ったことはない。しかし、ドストエフスキーの文学は神の存在を巡って展開されている。わたしは『罪と罰』の〈ラザロの復活〉を巡って何度も批評している。未だに決着はついていない。もし文字通り〈ラザロの復活〉を信じることができれば、キリストをそして彼の言う父なる神を信じることができるだろう。しかし、読み返すたびに新たな疑問が生まれてくる。素直にイエスの言う言葉を信じることはできない。

 年譜によれば白鳥が植村正久に洗礼を受けたのは明治三十年、十八歳の時である。そして棄教したのが同じく年譜によれば明治三十五年、二十二歳の時となる。昭和四年に刊行された改造社現代日本文学全集正宗白鳥年譜は白鳥自身によるもので、その後の白鳥年譜はこの年譜をふまえて作成されているということだ。ちなみに、わたしは改造社版を所有していないので新潮社版全集第十三巻(昭和四十三年十二月)の年譜で確認しておくことにする。そこには「明治三十年(一八九七年)十八歳 植村正久によつて洗禮を受け、市ケ谷の日本基督教會の會員となつた」「明治三十四年(一九〇一年)二十二歳 この年、キリスト教を離れ」とある。

 問題は自分が作成した年譜に〈棄教〉の事実を記しながら、後にその〈棄教〉に関して明確な発言をしなかったことにある。そこから白鳥の〈棄教〉に関して様々な憶測を生むことになる。

 まずは後藤亮の『正宗白鳥 文学と生涯』(昭和四十一年七月 思潮社)を見てみよう。後藤は「一 回心の諸説」を次のように書いている。

 

  昭和三十七年(一九六二)十月二十八日、正宗白鳥は、数え年八十四才の高齢をもって亡くなった。その死に臨んで、病床を見舞った植村環が、

 「先生は、キリストを救い主と信じますか」と訊くと、

 「信じます」と言下に答え、更に、

 「私は罪人で、沢山悪いことをしたけれど、キリストは許して下さる。そして、天国にいだき入れて下さる」(昭和三十七年十一月二日・読売新聞・植村環「正宗白鳥先生を見送って」)

  と答えたことが、植村牧師の口から、納棺式でも、葬儀でも語られて、新聞は一斉に報道し、文壇といわず、社会に異様な衝撃を与えた。あの六十年に亘って、キリスト教に対する不信と懐疑を洩らし続けて来た白鳥だからである。(12)

 

 正宗白鳥は読売新聞に「論語とバイブル」を書き、そこでバイブルを凡書と断言していたが、死の間際にキリストを救い主と信じますと言ったことはやはり衝撃的である。わたしは植村環の「正宗白鳥先生を見送って」の読売新聞記事を読んでいないが、植村環の証言が真実とすれば、後藤亮が書いているように「新聞は一斉に報道し、文壇といわず、社会に異様な衝撃を与えた」のも当然と言えよう。少なくとも正宗白鳥の文学やその発言に注目していた文芸関係者やキリスト教界の人々には衝撃だったに違いない。わたしは今まで正宗白鳥の作品を何一つ読んでこなかったので、彼の信仰と棄教に関する諸議論も知らなかったが、小林秀雄との対談を再読して興味を抱き、「論語とバイブル」を読んで批評の衝動に駆られた。

 白鳥年譜や「内村鑑三」を読んでも、こと〈洗礼〉と〈棄教〉に関しては何ら具体的な事柄が分からない。なぜ洗礼を受ける気になったのか、なぜ植村正久牧師に頼んだのか、洗礼に至るまでに植村正久とどのようなやりとりがあったのか、白鳥は何一つ記していない。洗礼・棄教してからおよそ六十年の文学生活を送りながら、この人生上の重要事件に関して具体的な言及を避けていたのはどういうことなのか。洗礼・棄教そして信仰復帰という図式をそのまま認めることは、キリスト教信仰のいい加減さを露呈することになりはしないか。キリスト教復帰後、もし白鳥が何年か長生きすれば自分の行為を手厳しく断罪するのではないか、ともわたしは思ったほどである。少なくとも白鳥の作品や対談におけるキリスト教に対する数々の不信と懐疑の表明は、自らの回心を正当化する力を欠いている。

    信仰という背理を生涯の最後において実現したとしても、言語を使って文学活動をしていた白鳥は、それでもって自らの言語行為を正当化することはできない。白鳥が最も嫌悪していたであろう、曖昧さを彼は言語から離れて信仰において受け入れてしまった。残された者たちは、言語による明晰さを取るか、信仰による背理を取るか、この二者択一に直面しない者にとっては信仰も懐疑もはじめから問題にならない。

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発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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