モーパッサン『ベラミ』を読む(連載55) ──『罪と罰』と関連づけながら── 清水 正

 

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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載55)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 ジョルジュと関わった女たちは、彼がろくでなしであり、愚劣であり、卑怯者であり、裏切り者であることを知って激しく罵り、蔑み、非難する。が、誰一人としてジョルジュを破滅の淵に突き落とすことをしない。特に社交界における最初の情夫となったクロチルドなどは、別れ際に暴力まで受けており、ふつうに考えれば絶対に許せない男であった。しかし、クロチルドはジョルジュとシュザンヌの結婚式当日に現われ、なにやら再び関係を復活させるような暗示的挨拶を交わしている。

 ヴァルテール夫人もそうだが、結局彼女たちはジョルジュの魔力から脱することができず、その関係を断ち切ることができない。彼女たちは、ジョルジュとのスキャンダラスな姦通を世間から非難されることを最も恐れている。夫に知られ、世間に知られては、もはや社交界に生きることはできない。彼女たちは要するに、夫の庇護のもとに生きているのであり、その担保のもとに秘密の色事を楽しんでいる俗物である。この俗物が自己保身の柔らかなソァに居座り続ける限り、野心家ジョルジュを脅かすことはできない。

 ヴァルテール夫人にとってジョルジュは描かれた五十万フランの〈キリスト〉よりも説得力のある色魔キリストであり、彼女は色魔を超越した霊的キリストと出会うことはなかった。よりによって娘シュザンヌを奪われたヴァルテール夫人は嫉妬と憎悪と苦悶のただ中に突き落とされるが、それでさえジョルジュを公に糾弾、弾劾し、彼を社交界から追放抹殺することができなかった。もはやジョルジュは怖いものなしのろくでなしであり、作者が特別の刺客を作品中に送らない限り、彼は自分の権力欲を存分に発揮する英雄的存在に成り上がるであろう。

 全編を通してノルベール・ド・ヴァレヌの発した「すべての宗教は愚劣だ」が霧のようにたちこめている。宗教画のキリストを前にして、色魔ジョルジュが戦慄しないのであれば、このキリストは俗物ヴァルテールの所有物の域を越えることはない。ヴァルテール夫人の告解に立ち会った司祭も、ジョルジュとジュザンヌの結婚儀礼を取りしきった腹の出た司祭も、宗教画のキリストと同様に、作者の容赦のない皮肉な眼差しにさらされている。『ベラミ』の世界には敬虔なキリスト教徒などただの一人も登場してこない。人々は駆け引き、取引に大忙しで、魂の原郷に立ち戻ろうと志向する者はいない。

 妻マドレーヌと外務大臣ラローシュ-マチゥが姦通していた部屋の模様を作者は次のように書いていた。

 

  ありふれた家具を備えた、家具付貸家の寝台だった。貸部屋特有の例の饐えたような胸の悪くなる悪臭が漂っていた。カーテンや毛蒲団や四方の壁や椅子から発散される悪臭、一日でも半年でも、この万人の泊る部屋の中に、泊ったり、生活したりして、いくらかずつ自分たちの体臭を残して行ったすべての人々の匂い、例の人間特有の匂い、それが代々重なり合って、ついに長い間に、えたいの知れぬ、かすかながら我慢のならない悪臭となったもの、どこへ行ってもこういう場所には共通の匂いだった。(下巻・237~238)

 

 ここに描かれた姦通の部屋にたちこめた〈饐えたような胸の悪くなる悪臭〉が『ベラミ』の世界全体を覆い尽くしている。ジョルジュはこの悪臭のただ中でのし上がり、権力を獲得する存在として設定されている。新しい妻となったジョザンヌもやがて母ヴァルテール夫人のような存在に成長していくだろう。クロチルドの一人娘によってベラミ(美しい人)とあだ名されたジョルジュは、おそらく永遠にキリストのような美しい人にはなれなかっただろう。

 『ベラミ』の世界には、〈神〉も〈神の子〉も〈聖霊〉も存在できないような〈饐えたような胸の悪くなる悪臭〉がたちこめているのである。ポルフィーリイ予審判事はロジオンに向かって〈空気〉が足りないと言っていたが、まさに『ベラミ』の描く世界全体に〈空気〉が不足しているのである。が、モーパッサンはロジオンに復活を促すような〈空気〉の存在すら必要としなかったように思える。その意味では『ベラミ』は『罪と罰』よりははるかに無神論的現代を反映していると言えるかもしれない。

 現代人は余りにも〈饐えたような胸の悪くなる悪臭〉に慣れ親しんでしまっており、野心家ジョルジュを否定する根拠さえ喪失しているのである。ジョルジュに魅了されるのは女たちばかりでなく、若い男たちも羨望と憧憬の眼差しを向けるかもしれない。波の上を歩く、そのキリストの〈奇跡〉を驚愕と畏怖の眼差しで見つめる者はいない。愚劣な宗教における、愚劣な奇跡に、今や信服する者など一人もいない。少なくとも『ベラミ』の世界においては。

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