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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載30)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 さて『ベラミ』だが、ジョルジュはすぐにブランコの曲芸に飽きて〈男たちと商売女たちでいっぱいの大遊歩場〉の方ばかりを眺めている。次の場面を見てみよう。

 

  フォレスチェが言った。

  ――ちょっと椅子席を見てみろよ。細君連れ、子供連れのブルジョワどもばかりだ。見物のためにやって来る薄のろのお人好し連中さ。桟敷は、屋敷町の連中、芸術家、少し上等な女たちといったところだ。そして、我々の後ろにいるのがパリで一番面白い混合物だ。あの男たちは何者だと思う? まあよく見てみたまえ。ぴんからきりまでとはこのことだろう。あらゆる職業、あらゆる階級のものがいるが、しかし結局主調をなすものは放蕩者という種族だ。事務員もいる。銀行の事務員、商店の事務員、官庁の事務員、新聞屋、ジゴロ、平服の軍人、礼服を着た気取り屋、キャバレーで食事をしてきて、オペラ座から出て来て、その後でイタリアンにはいろうという連中だ。それから、どうにも正体の判らないいかがわしい人間がひと山いる。女どもに至っては、一色だね。アメリカンの夜食の時刻に出張って来る奴だ。一ルイか二ルイどこの女だが、五ルイも出す外国人をねらっているんだ。そしてからだのあいている時に常連に知らせるという寸法さ。十年も前からみんな顔の知れている連中だ。毎晩見かける。一年じゅう、いつも同じ場所で。奴らがサン-ラザールかルーネシーヌで保護している時は別だがね。(上・29)

 

 フォレスチェはジョルジュに注意を促しているが、これは読者にフォリ・ベルジェールの内部空間をできる限り客観的に提示する役割を果たしている。『罪と罰』の読者は水晶宮の内部空間、そこにどのような人間たちがいたのか具体的に知ることはできないし、ましてやロジオンが新聞の広告で見た出し物を観ることもできない。『罪と罰』の読者は主人公ロジオンの起こした事件そのものよりも、むしろロジオンの内面世界に興味を抱くようにし向けられている。ドストエフスキーは〈事件〉が当時の新聞にどのように報道されていたのか、完璧に省略している。従って読者は当時の新聞記者がどのような観点から記事を書いていたのか知ることはできない。現在では新聞ばかりかテレビ、ラジオ、ネットなど様々なメディア報道によって〈事件〉を知ることができるが、『罪と罰』発表当時は新聞のみが唯一の報道媒体である。新聞が〈事件〉をどのように伝えているのか、わたしなどは多大の興味を持つが、ドストエフスキーはどういうわけか新聞記事をいっさい取り扱わなかった。ロジオンが起こした〈事件〉に関する情報を、読者は新聞記者からではなく、もっぱらラズミーヒンひとりから得ている。ラズミーヒンは警察署の事務官ザミョートフはもとより関係者から実に多くの情報を収集して、それをロジオンに伝えている。ラズミーヒンは女中ナスターシャに〈おす犬〉(пёс)と言われてからかわれているが、彼は女ばかりでなく、〈事件〉に関してもあちこち嗅ぎ回っていたのである。

 フォレスチェは新聞記者であるから、モーパッサンは新聞記者の眼差しを通してフォリ・ベルジェールに集まる人間たちの肖像を的確に読者に報告していると言える。読者はその客観的な光景を提示されることで、主観に流されずに情報を得ることができる。たとえばわたしはこの場面を読むまで、フォリ・ベルジェールに人妻や子供がいるとは思わなかった。多くの娼婦が商売目当てで集まってくるような娯楽施設に家族連れがいるなどとは想像できなかったのである。しかも、フォレスチェとジョルジュがフォリ・ベルジェールに入場したのは午後十一時を過ぎているように思えたので、こんな夜遅くに子供を連れてくるなどまったく考えられなかったのである。この日、つまり『ベラミ』の〈第一日目〉は先にも指摘したように、六月二十八日ということは記されているが、西暦と曜日は記されていない。が、この場面を読むと、明日は日曜日で、子供たちは学校に行く心配がなく、土曜日の夜を家族でめいっぱい楽しんでいるようにも思える。フォリ・ベルジェールは子供から娼婦まで、あらゆる年齢、職業、階層の人間たちを一同に集め、各自の欲望を満たすための娯楽施設であることがわかる。とうぜん出し物もそれぞれの好みに合わせた多種多様なものが用意されていたであろう。

 

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