モーパッサン『ベラミ』を読む(連載29) ──『罪と罰』と関連づけながら──

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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載29)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 次の描写を見てみよう。

 

  フォレスチェは群衆を分け、敬意を払われる権利のある人間として、ぐんぐん歩いて行った。

  彼は一人の案内係の女のそばへ近よった。

  ――桟敷の十七号は?

  ――どうぞこちらへ。

  そして二人は、天井のない小さな木製の檻のようなものの中へ案内された。四方に赤い布を張り、同じ色の椅子が四つ据えてあるが、非常に狭く寄せてあるので、やっと通れる程度である。二人の友は腰を下ろした。と、右にも左にも、両方の端が舞台に連なって終わっている円を描いた長い線に沿って、同じような檻の列が、同じように腰かけている人間を容れており、その連中のからだは頭と胴だけしか見えない。(上・27~28)

 

 案内された桟敷席の模様はリアルに描かれる。読者は桟敷に座ったフォレスチェとジョルジュの眼差しで全ホールを見渡すことができる。次いで作者は大・中・小の男たちが演じる空中曲芸をリアルに再現する。読者はフォレスチェとジョルジュと一緒に曲芸を眼前に見ることになる。

 さて、『罪と罰』の関連で見れば、ロジオンは水晶宮と名付けられたカフェで新聞を取り寄せて読む場面がある。自分が犯した殺人事件がどのような記事になっているかを確認するためであるが、ロジオンは新聞をめくりながら次のように呟いている。江川卓訳で引用する「イズレル――イズレル――アズテック――アズテック――イズレル――バルトーラ――マッシーモ――アズテック――イズレル……えい、畜生! ああ、こっちが三面記事だ。婦人、階段から墜落――町人、暴飲で死亡――ペスキ区の火事――またペテルブルグ区の火事――もうひとつペテルブルグ区の火事――またペテルブルグ区の火事――イズレル――イズレル――イズレル――イズレル――マッシーモ……ああ、これだ……」(上・326)。

 なんの先入観もなしにこの〈呟き〉を読むとまるで呪文のようにも思えるだろう。婦人の墜落死、町人の暴飲死、異様なほどのペテルブルクでの火事の記事は分かるとしても、〈イズレル〉〈アズテック〉〈バルトーラ〉〈マッシーモ〉が意味不明で不気味である。ところで江川卓の〈イズレル〉の注釈に【ペテルブルグ近郊にあった「鉱泉」という園遊会場の持主で、当時の新聞には、毎日のようにここでの催しものについての広告が掲載されていた。マッシーモ、バルトーラは小人の男女で、一八六五年、当時スペイン人に滅ぼされた古代メキシコ土人アズテック族最後の二人というふれこみで、ペテルブルグの見世物に出ていた」(上・414)とある。意味が分かれば不気味な感じはなくなるが、わたしは『罪と罰』論でこの〈呪文〉ようにも聞こえる言葉に〈祈祷〉の言葉を重ねて大胆な説を展開した(「『罪と罰』講義」参照)。

 わたしが今回注意したいのは、ドストエフスキーが興行主や芸人に関して、その名前しか記していないことである。読者はバルトーラとマッシーモがどのような演目を演じたのかを想像するしかない。同時代の読者は、実際に演遊場に足を運んだ者も少なくなかったであろうから、作品の中で具体的な説明を受ける必要もなかったであろうが、一世紀の歳月を隔てて異国で読む者にとっては当時の〈常識〉が得体の知れないものに変容して受け止められてしまう場合もある。わたしは敢えてそのことを逆手にとりテキストの深淵に踏み込んでいくことで、予期しない秘められたものに突き当たることになる。

 ロジオンは目当ての特報記事を発見して夢中になって読むが、作者はその特報記事をそのまま読者に提供しない。読者は当時の新聞記者が、〈高利貸しアリョーナ婆さんとその腹違いの妹リザヴェータ殺し〉をどのような記事にまとめたのか知ることはできない。ドストエフスキーはロジオンが定期新聞に投稿した犯罪に関する論文も掲載されたままに読者に提示することはなかった。ロジオンの〈非凡人〉に関する論文は、それを読んだポルフィーリイ予審判事とそれを執筆したロジオンの口を通して語られることになる。アリョーナ婆さん殺しの報道に関しても、新聞記事そのものによってではなく、作中で〈ジャーナリスト〉の役割を果たしている探訪家ラズミーヒンによって事細かに伝えられることになる。ロジオンの犯罪そのものは、ロジオンに密着している〈無形の語り手〉(カメラ)が逐次、実況中継しているので、読者はその〈事実〉を余すところなく知ることができる。

 問題はその実況中継カメラがとらえた犯行の〈事実〉を、新聞記者がどのように書いていたかということである。読者が知ることのできる〈事実〉と新聞記者が伝える〈事実〉を照合することで、ジャーナリズム報道の問題点が浮き彫りになったはずだが、ドストエフスキーはそういった書き方は採らなかった。読者はロジオンが特報記事を発見したその新聞名を知らされず、その新聞の発行年月日と曜日も知らされない。ドストエフスキーはきわめて意識的にロジオンの犯行日(西暦・月日・曜日)を隠している。全編を通して、犯行を含めた出来事の〈日にち〉に人物たちの口を通して何度も言及しながら、〈第一日目〉を〈七月初め〉と記すのみで、具体的な西暦や日付に関しては絶対に口を割らない。

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令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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