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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載21)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 もう少し、叙述場面を見ることにしよう。

 

  だが、パリでは、そうはいかない。サーベルをさげ、ピストルをにぎって、警察の手のとどかないところで、勝手気儘に、安穏に略奪をすることはできない。彼は征服土地でのさばる下士官のあらゆる本能が心にうずくのを感じた。あの砂漠の二年間が、無性に恋しかった。あそこに残っていなかったのは、かえすがえすも残念だ。だが、仕方がない、国へ帰りゃもっといいことが待っていると思ったのだから。ところが、いまでは……ああ! まったく、眼もあてられない始末さ、いまは!(294)

 

 この文章をそのまま読めば、ジョルジュはとんでもない悪党に思える。彼はアフリカの砂漠からパリに戻ってきて、勝手気儘に、安穏に略奪をすることができないことを嘆いているのだ。彼は征服した土地で〈下士官のあらゆる本能〉を満たしていた二年間を無性に恋しがっている。こんな文章をアラビア人が読んだら激しい怒りにかられるだろう。否、もし良識のあるフランス人なら、この非人道的な、気儘な本能を容認して微塵の反省や悔いを覚えることのないジョルジュをそのまま受け入れることはできないだろう。

 わたしは『ベラミ』をフランス人がどのように読んできたのか、その読みの歴史を知らないが、いずれにせよジョルジュが国家の無謀な武力侵略や、殺人や、略奪に関して何の疑いも持たずに生きてきた、余りにも非知性的な愚かな青年像を読者に提示していることに間違いはない。何度も言うが、こんなにも単純で愚かな青年に〈美貌〉という武器だけで野望を遂げるドラマをどのように展開していくのか。今のわたしは主人公ジョルジュになんの魅力も感じない。関心があるのは作者モーパッサンの力量である。

 わたしは今までテキストを逐一引用し、そのつどコメントをつける批評方法を採ってきたが、この方法をやめることにする。今後はわたしが特に興味を持った事柄に関して言及する。わたしはジョルジュの服装や帽子など、彼が身につけていたものにも関心を抱いたが、原典に付けられた挿し絵を見ると、そこには杖も描かれていた。

 当時の紳士にとって三つ揃い、シルクハット、それに杖は当然の身だしなみであったのかも知れない。しかし、作品の中でジョルジュが杖を持っていたとは書かれていない。テキストに書かれていないから、ジョルジュが杖を持っていなかったとは言い切れない。こういう点も作品を解読していく上では厄介な問題である。なにしろ、ジョルジュの被っているシルクハットは色褪せた代物だし、三つ揃いも〈六十フラン〉の安物ときている。従ってジョルジュが杖を持っていなかった可能性も高い。しかし挿し絵に杖が描かれているのを見ると、そんなことは書いていなくても、貧乏人の気取りやで虚栄心の強いジョルジュが杖を持っていないはずはないようにも思えてくる。

 もう一つ、わたしが疑問に思ったのは懐中時計である。ジョルジュは時計を所持していたのかどうか。先に引用した場面の後で、ジョルジュは往来に立っている大時計を見て〈九時十五分〉であることを確認している。さて、ここを読んでどう判断するかである。ジョルジュは時計を所持していなかったので、今まで時間を確認しなかったのか。それとも所持していたが、たまたま大時計を見ただけなのか。モーパッサンの書き方では真実は分からない。読者は勝手に想像するしかない。わたしの想像では、杖はシルクハットと同様に、この外見を気にする女たらしの似非紳士には必需品だっただろうし、チョッキのポケットには壊れた懐中時計が入っていてもふしぎではない。要するに『ベラミ』のテキストは突っ込みどころ満載なのである。

 わたしは想像力を存分に発揮してテキストを読み込んでいくが、これからは今までのようにテキスト(田辺貞之助訳・新潮世界文学22)を逐一引用して、そのつどコメントしていく批評方法はとらないことにする。わたしは今までは、一ページ先の場面も読まずに批評してきた。が、ここまで書いたところで、二日ほどかけて最後まで読み切ってしまった。さすが〈通俗小説〉のことだけあって、どの場面もおもしろく一気に読めた。ちなみに、一気に読了したテキストは杉捷夫訳・岩波文庫であり、今後、引用は特に断らない限り、このテキストに拠る。

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