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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載20)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 ジョルジュに特徴なのは、カフェの客一人一人の個性ではなく、所持金(二ルイ)に換算されていることである。百人各々の内的世界は見事に無視され、露骨に〈二ルイ×百は四千フラン〉という具合に一括りにされる。そしてついでに彼らは〈豚ども〉扱いされる。ここにジョルジュの対人間関係や金を何よりも優先する世界観を知ることができる。ジョルジュは自分の感情を率直に表明している。二ルイをポケットに所持している〈豚ども〉は、彼にとってはそれだけで〈そっ首をねじあげ〉るに値するのである。条件が揃ってさえいれば、間違いなく彼はそれを実行しただろう。自分の〈飢え〉を満たすためには、つまりすべては許されているというわけだ。ロジオンだったら、雑誌に掲載されるに値する論文に仕上げることだろう。ジョルジュにはそうするだけの基本的な知性が準備されていない。モーパッサはこの知性と教養に欠けた、美貌だけが頼りの〈女たらし〉の野望をこれからどのように実現させようというのか。その点に踏み込んでいく前にもう一カ所だけ引用しておこう。

 

  そこで、彼はアフリカの二年間の生活を思いだした。南部の小歩哨で、よくアラビア人を略奪したものだった。残酷な、さも愉快そうな微笑が、彼の唇をゆがめた。ウレッド=アラーヌ族(訳注 アルジェ地方にちらばるアラブ族の土民)の男を三人殺し、二十羽の雌鶏と二頭の羊と相当の金とを、彼や仲間にもたらした、あのすばらしい手柄の思い出が、胸に浮んだのだ。あれはその後六カ月も笑い話の種だったなあ。

  犯人はとうとう見つからなかったが、ろくにさがしもしなかったのだ。自体、アラビア人は兵士らの自然の餌食のように思われていたからだ。(293)

 

 ジョルジュが二年間ものアフリカ生活で思い出すのは、略奪と殺人である。注意すべきは、彼がこの残酷な行為にたいして良心の呵責など微塵も感じていないことである。それどころか、彼はこれらを残酷な微笑をもって思い出している。戦争とはその現場においては人間を殺したり殺されたりすることである。人間を殺すことが当たり前の世界で、倫理や道徳を振りかざすことほど愚かなことはないだろう。略奪のために現地の部族民を殺すことなど、兵士にとってはごく当然のことであったのだろう。従ってこの残酷な略奪行為に参加したフランスの兵士たちにとって、〈二十羽の雌鶏と二頭の羊と相当の金〉とを奪うために現地人三人の命を奪うことは〈すばらしい手柄〉であり〈笑い話の種〉でしかなかったということ、つまりこの行為は〈犯罪〉でもなければ〈罪〉でもなかったということである。

 ジョルジュは殺された部族民の怒りや悲しみや絶望を思うことがない。彼の回想だけでは、殺された三人が家族全員であったのかどうか分からないが、もし残された者があったら、彼らの悲憤は計り知れない。ジョルジュは自分が殺した部族民と自分の家族を重ね合わせることができない。おしなべてジョルジュには人間に対する憐憫の情や想像力が欠けている。彼は母国フランスがアルジェリアに武力侵攻したこと、自分が一兵士として戦争に参加すること、そのこと自体を自分の頭で考えることをしない。いったいジョルジュという青年は、自分のことしか考えない利己主義者でしかなかったのだろうか。自分の母親や父親が他国の侵略者によって命を奪われ、財産を略奪されたらどんな思いにかられるか、そういったことさえ考え及ばない残酷で愚鈍な青年であったのだろうか。

 ここに引用した場面で見るかぎり、ジョルジュは殺人や略奪を平気でやりとげる単純な行動家であり、地下男の言葉で言えば単なる〈ばか〉である。ひとの苦しみや悲しみを感じ取ることのできない、ばかで陽気なお調子者、こういった青年に美貌と野心を与えて、〈通俗小説〉の中で存分に〈色魔〉ぶりを発揮させたらどうなるか、モーパッサンはそういった実験に取りかかったというわけだ。

 〈アラビア人は兵士らの自然の餌食〉などという言葉がさりげなく書かれているが、この言葉に侵略国フランス人の植民地人に対する傲慢な思いが端的に現れていると言えよう。軽騎兵ジョルジュにとってアラブ族三人の命など略奪した鶏や羊並みのものでしかなかったということである。この略奪者がロジオンのような思弁を展開できるだけの知性を備えていれば、〈目的のためには手段を選ばず、どんな残酷なことであれ許されている〉などと宣うかも知れない。ロジオンにとっての〈アリョーナ婆さん〉が社会のシラミと見なされたように、三人の殺されたアラブ人はジョルジュにとっては社会から抹殺されてもかまわない〈敵〉と見なされていたのであろう。

 ロジオンは二人の女を殺した後で、自分にはそれをするに値する〈能力〉がないことを思い知って苦しむ。が、ジョルジュには殺人後の苦しみなど微塵も窺えない。殺人と略奪を〈すばらしい手柄〉と見なし、半年後には〈笑い話の種〉とできるジョルジュは、ロジオンの〈非凡人〉の思想に照らせば、まさに彼は凡人の範疇に収まる人間ではないこと、すなわち〈非凡人〉の範疇に属する人間ということになる。ジョルジュには自分の野心を雄弁に語る能力が未だ開発されていないので、彼の口から直接それを言い表すことができない。

 

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