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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載18)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

  次の場面を見てみよう。

 

 彼はこうひとりごちた。――「十時まで我慢しよう。そして、カフェ・アメリカンで一杯やろう。だが、ちくしょう! やけに喉がかわきゃがるなあ、やっぱり!」――そして、テーブルにすわって飲んでいる連中を見まわした。あいつらは好きなだけ飲んで、喉をしめらせることができるのだ。彼は、元気よく快活そうに、軒をならべたカフェのまえを歩いていって、客の顔つきや身なりで、ひとりひとりがどのくらい金をポケットへいれているか、すばやい眼で推量してみた。そして、ゆっくりテーブルにすわっている連中にたいして、無性に腹がたってきた。やつらのポケットをさぐったら、金貨や銀貨や小銭がざくざくでてくるのだろう。平均して、少なくとも二ルイずつはもっているにちがいない。ところが、一軒のカフェにたしか百人ははいっているだろうから、二ルイ掛ける百は四千フランだ! 彼は気どった格好で歩きながら、「豚どもめら!」とつぶやいた。もしあのなかの一人を、どこか往来のすみの真っ暗なところでとっつかまえたら、ちくしょう、どうしたって、大演習のときに百姓の鶏をやっつけたように、そっ首をねじあげずにはいないんだが!(293)

 

 ここで初めて〈十時〉という時間が示される(どういうわけか木村庄三郎訳は〈九時〉となっている)。今まで、ジョルジュの容貌や服装は描かれていたが、彼がレストランを出たときの時間、どれほどの時間を費やしてカフェにまでたどり着いたのかは記されていなかった。ジョルジュは懐中時計、または腕時計を所持していたのだろうか。ロジオンの場合は、彼は常に時計時間を意識していた。父親の形見の腕時計は質入れしてしまっていたので、ロジオンは犯行現場につくまで、店の柱時計をのぞき見までして〈今、何時〉かを知ろうとした。そもそもロジオンは〈長針〉(長身)として時計回りの道順で〈短針〉(短身)のアリョーナ婆さんの所に〈七時〉までにたどりつこうとしていた。要するに〈第三日目〉(犯行当日)のロジオンはかなり神経質に時間を気にしながらは目的の場所を目指した。

 一方、ジョルジュはここまで確かな目的地もなく、時間を意識することもなく蒸し風呂の夜を歩き続けていた。もしかしたらジョルジュは時計を持っていなかったのかも知れない。彼は一度も自分の時計を見ることはなかった。しかし問題は、ジョルジュが時間の外にあったということである。もし彼が時間を気にするような男だったら、店の柱時計をのぞき見る場面があってもよかっただろう。作者はこの日が〈六月二十八日〉であることは明記しているが西暦と曜日は記していない。読者に伝わるのは、ジョルジュがこの日の夜、時間から解放されたパリの夜を自由気ままに歩き回っていることである。勤務から解放されたジョルジュはレストランで食事をすませ、時計時間に縛られずに夜の時間の〈自由〉を存分に味わっているということだ。

 ジョルジュはカフェの客たちの姿をとらえ、グラスに注がれる〈赤〉〈黄〉〈緑〉〈茶〉色とりどりの酒を見つめる。喉の渇きに苦しめられているジョルジュは色とりどりに輝く〈酒〉を凝視して、客たちの振る舞いや談話に注意しない。モーパッサンの描く描写からは音や声が聞こえてこない。バリの夜の繁華街に音楽を奏でる楽師や歌うたいは一人もいなかったのであろうか。テラスの椅子に座っている連中はいったい何を話題にして酒盛りしているのか。ジョルジュはっさいそんなことには関心がなく、ただひたすら酒を注がれた光まばゆいグラスに視線を集中している。ジョルジュの関心事は冷たい飲み物で喉をうるおすことと、そのために必要な金額のことだけである。

 ロジオンの〈第一日目〉を想起したらいい。ロジオンは二日も何一つ口にしていないのに、何かを食べようという欲望にかられることはない。わたしも二十歳前後の頃、食欲を感じたことがない。ドストエフスキーを読み続け、観念の世界を彷徨していたわたしは、煙草とコーヒーを食事代わりにして、四十三キロの体重を保持していた。ロジオンはアリョーナ婆さんを訪ねた帰り、喉の渇きを覚えて地下の安酒場へと階段を降りて行き、そこで一杯のビールにありつくが、いつも金欠状態にあるロジオンが酒代を心配している様子はまったくない。

 『罪と罰』全編を通して、ロジオンは実に気前よく、いろいろなひとに金を与えている。マルメラードフが馬車にひかれて死んでしまった時には、寡婦となったカチェリーナに二十ルーブリもの金を恵んでいる。要するに、ロジオンは金に関しても後先考えずに散財する傾向を持っていた。その点においてロジオンは十九世紀ロシア中葉を支配していた功利主義的経済観念の支配から脱していたとは言えよう。あるいは単に、やけっぱちになっていたともとれる。金を小馬鹿にする者は、そういった形で金に支配されているとも言える。ま、いずれにしてもロジオンとジョルジュとでは〈金〉に対する考えが正反対で、ジョルジュにはしみったれた貧乏人根性が拭いがたくそなわっているようだ。

 

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