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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載17)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 ロジオンの形而下に照明を当てれば、先に引用したジョルジュの女に対する欲望との親和性すら感じられる。ロジオンは女を目当てにカフェや酒場や売春宿に出かけたなどとはどこにも書いていないが、ジョルジュのような内的独白を密かにつぶやいたとしてもおかしくはない。女たらしのジョルジュに思想や哲学を賦与すればロジオンになり得るし、屋根裏部屋の思弁家ロジオンから思想や哲学を取り去ればジョルジュになり得るのである。ロジオンがペテルブルクに上京したての頃、母親の呪縛から解放された気分で、ずいぶんと軽佻浮薄なことをしていたことは確かなことで、この虚栄心の強い美男子ロジオンは女たらしのジョルジュと瓜二つと言っても過言ではない。一見、ジョルジュとロジオンは対極的な存在に見えるが、冷静な眼差しを注げば、ジョルジュは十九世紀後半のパリに現れたロジオンと言ってもいいのである。

 

  彼はマドレーヌ教会のほうへまがり、暑さにゆだりながら流れていく、人並みにまぎれこんだ。大きなカフェは、客がいっぱいで、舗道にまであふれ、こうこうと明りを輝かした店先の、眼もくらむどぎつい光のしたに、酒を飲んでいる連中を照らしていた。彼らのまえの円や四角の小さなテーブルには、赤や黄や栗色やあらゆる色合いの酒がグラスにつがれ、水差しのなかには、きれいに澄んだ水をひやすために、透明な筒形の氷のかがやいているのが見える。

  デュロワは足をゆるめた。酒を飲みたくて、喉がひりひりかわくようだった。

  焼けつくばかりの、夏の夜の渇きが彼を責めつけた。そして、冷たい飲み物が口のなかを流れる、あの快感をしきりに思った。だが、今夜たった二杯でも飲んでしまえば、明日のささやかな夜食はおさらばになってしまう。ところが、彼は月末の空腹にさいなまれる幾時間を、知りすぎるくらい知っていた。(293)

 

 パリの街に詳しい者であれば、ジョルジュと一緒に蒸し風呂の夜を共に歩くことができるだろう。作者が事細かに書かなくとも、町並みの光景をリアルに眼にすることができる。さて、小説には読者の興味をひく事件が必要だが、今のところ作者は人混みのパリの街路を歩くジョルジュの姿を追うだけである。わたしはジョルジュをロジオンに重ねて読んでいるからまったく退屈を感じないし、『ベラミ』にもやがて何かしらの〈事件〉が用意されているのではないかと感じている。

 ロジオンは〈アレ〉という事件を起こし、『罪と罰』はこの〈事件〉(渦)を中心にして、その周囲にすべての人物たちがそれぞれの役割を背負って集まってくる。ロジオンの母親と妹、ドゥーニャの婚約者ルージン、ドゥーニャの誘惑者スヴィドリガイロフなどは急遽、ペテルブルクへと召集され、ロジオンが寝起きする屋根裏部屋を訪れることになる。或る特定の場所に複数の人物が集まり、そこで様々なレベルの言葉が交わされることになる。ロジオンの 屋根裏部屋、高利貸しアリョーナの部屋、ソーニャの部屋、マルメラードフ一家の住まい、警察署、水晶宮、地下の居酒屋、ポルフィーリイ予審判事の部屋などが、『罪と罰』の固定された舞台として重要な役割を果たすことになる。

 さて、『ベラミ』においてそういった固定された舞台はどのようなものであり、どのような〈事件〉(とうぜんそれは女に多大の関心を抱いている女たらし特有の事件であろうが)がどのように用意されているのだろうか。

 とりあえずこの時点でジョルジュの眼差しを釘差しにするのは〈大きなカフェ〉である。ジョルジュの眼差しは〈大きなカフェ〉で酒を飲む客たちの姿をとらえる。夏の夜を歩き続けてきたジョルジュの喉は乾ききっている。余裕さえあれば、彼もまたカフェに腰掛け、冷たい酒を飲み干したいのだ。ところで、わたしがここに引用した場面で注意したのは、〈酒〉もさることながら、グラスに注がれる酒の色が「赤や黄や栗色やあらゆる色合い」と表現されていたことである(他の訳者はすべて〈緑〉も加えている)。『罪と罰』には〈赤〉〈黄〉〈緑〉が頻出する。すべて重要な象徴的意味を付与されているが、癲癇病理の側面からは特に〈緑〉が重要である。第四作目の『おかみさん』の主人公オルドィノフは発作に落ちる寸前、眼前の世界が一面〈緑色〉に覆われる。また日本の作家で癲癇者の上田秋成はその作品中に〈緑〉を散りばめている。モーパッサンの精神病理に詳しくないので断定的なことは言えないが、彼の創造したジョルジュが〈赤〉〈黄〉〈緑〉のどぎつい光に敏感であったことは注意しておいていいだろう。

 ジョルジュの〈夏の夜の渇き〉は、氷に冷やされた酒を求めるが、ここでもロジオンの〈渇き〉を想起したい。ロジオンの〈渇き〉は水や酒を飲めば癒されるものではない。ロジオンは神の水によってしか渇きを癒されない、神を求める青年であるが、作中、どうしても〈思弁〉(диалектика)を捨て去ることができず、精神の地獄を生きなければならなかった。ジョルジュには〈神を求める心〉などどこにも潜んでいないように思える。彼の頭を支配しているのは女との〈色事〉であり、ここでは酒を飲んで〈喉の渇き〉を癒すことであり、欲求を充足させるための〈金〉のことだけである。ロジオンの場合、〈喉の渇き〉は神を求める〈精神の渇き〉と裏腹であるが、ジョルジュの場合は純粋に〈喉の渇き〉にとどまっている。ロジオンは垂直的青年でそれなりに深みがあるが、ジョルジュは水平的青年で深みを感じることはない。

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