プーチンと『罪と罰』(連載7) 清水正

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                清水正・画

 

プーチンと『罪と罰』(連載7)

清水正

 

 十九世紀ロシアにおいて書かれた『罪と罰』と現在のロシア大統領プーチンの起こした戦争について少しばかり考えてみることにしたい。『罪と罰』の主人公ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(Родион Романович Раскольников)は「Разве я способен на этο?」(わたしにアレができるだろうか?)と考えていた。このロジオンの〈アレ〉(原文ではэтοのイタリック体)はタイトルの『преступление и наказание』(『罪と罰』)の〈преступление〉(直訳すれば〈犯罪〉〈踏み越え〉)と密接に繋がっている。

    表層的テキストにおいて〈アレ〉は高利貸しの老婆アリョーナ殺しを意味しているが、実は〈皇帝殺し〉や〈復活〉を意味していることはすでに何回も指摘している通りである。ロジオンの父称は〈ロマーノヴィチ〉(Рοманович)で〈ロマノフ王朝の〉と解釈することもできる。つまりロジオンはロマノフ王朝の血筋を引く〈薔薇〉(родион)であり〈英雄〉(иродион)であり、〈分離派教徒〉(раскольники)ということになる。

 ロジオンは二人の女を殺した後、四日間も意識不明に陥るほど苦しみと恐怖に襲われるが、この殺人者の懊悩を多くの読者は〈殺人に対する良心の仮借〉と受け止めてしまう。が、テキストを忠実に読めば、ロジオンは殺した二人のことで悩んだり恐怖にかられたりしているのではない。ロジオンは殺害事件の犯人として摘発されることを恐れているのであり、彼は一度として殺したアリョーナやリザヴェータのことで苦しんではいない。

 極端な言い方であることを承知の上で言えば、ロジオンは〈アレ〉を犯した後で、自分には〈アレ〉を犯す〈才能〉がないことをはっきりと認識せざるを得なかったこと、まずはそのことに苦しんでいることを忘れてはならない。しかもロジオンは〈アレ〉をなす能力がなかったことを自覚してすら、自分の犯した〈アレ〉(преступление)に〈罪〉(грех)意識を覚えることはただの一度もなかったのである。この点を読み間違えると『罪と罰』という〈小説〉(虚構・幻想)の凄さ、恐ろしさに肉薄することはできない。

  『罪と罰』が発表されてから百五十六年後、ウラジーミル・ウラジーミロヴイチ・プーチン(Владимир Владимирович Путин)はウクライナに侵攻した。ロジオンの〈преступление〉(踏み越え)にプーチンのそれを重ねてみるとどうなるか。ロジオンは〈アレ〉(этο=アリョーナ殺し)に対して戸惑いと躊躇があったが、プーチンにはそれが見られない。プーチンにはロジオンのような事をなすにあたっての迷いが見られない。

 ロジオンは「Разве я способен на этο?」と呟いて、事をなすに当たって自分の能力に疑問を抱いていたが、プーチンに〈アレ〉(ウクライナ侵攻)に対して自分の〈能力〉(способный)を疑っているは形跡はない。プーチンの信念は不条理にも崩壊させられてしまった〈ロシア帝国〉の奪回(再構築)にあり、その信念によればウクライナは独立した国家というより、ロシアの一領土でしかない。二千十四年に武力をもって占領したクリミアはもとよりベラルーシなども、プーチンの構想の中では本来〈ロシア〉なのである。

 プーチンの政治哲学は皇帝による独裁専制主義の肯定であり、国家とロシア正教会は一体化している。政教分離などという考えは、民主主義社会の能天気な欺瞞であり、国家は宗教と一体化してこそ強靱な国家足り得るというのがプーチンの揺らぎなき国家観をなしている。

 ロジオンの独白にはまず最初に〈Разве〉(はたして)という迷いの言葉があった。対してプーチンにはこの〈Разве〉がない。もしプーチンに〈Разве〉があれば、彼の内心の揺らぎや苦悩も露わになったに違いない。プーチンの信念(新しいロシア世界の構築)を暴力(戦争)によって達成しようとすれば、当然のこととして相互に多数の犠牲者が出る。安逸と平和の秩序は瞬く間に破壊され、兵士ばかりか一般の人々の血も流されることになる。

 殺し殺されの修羅場にあって〈愛と赦し〉はお花畑のつかの間の夢と化してしまう。戦場にあって兵士は「歯には歯を」の教えに忠実にならざるを得ない。もしキリストの教えに従うなら、その場で射殺されることを覚悟しなければならない。国家がいったん戦争に突入すれば、暴力に対する無抵抗、非戦論を貫くことは逮捕、拘禁、処刑を免れない。人間のすべてが同時に〈愛と赦し〉を体現できれば、人間は戦争を免れることもできよう。しかし現実にはそんなことはありえない。キリストの教えはすべての教会組織に乖離する。教会組織は時の国家権力と妥協し、自らも権威・権力をわがものとして存続してきたのである。

 ロジオンには〈アレ〉を成し遂げる〈才能〉が備わってはいなかった。ロジオンの〈踏み越え〉(преступление)は高利貸しの老婆とその腹違いの妹を殺すだけに終わった。作品展開においてロジオンの恐るべき〈思弁〉は揺るぎの中で停止し、ロジオンは〈キリスト教〉的愛と赦しへの世界へと誘致されて行った。

 ロジオンの思弁、そのナポレオンを崇拝する非凡人思想を安易にキリスト教思想へと誘致されてはならない。『罪と罰』のロジオンは様々な制約をかけられた人物であり、自分の思想さえ編集者、批評家、検閲官の目を意識しなければならなかった。

 ロジオンの〈アレ〉は彼個人の胸の内に完璧に納められていなければならなかった。ロジオンは自らの〈革命〉に関する思想を、唯一の友人ラズミーヒンにさえ内密にしていた。その意味でロジオンの〈踏み越え〉はきわめて個人的な行為であった。描かれた限りでみれば、ロジオンは他者と組んで〈踏み越え〉をなそうと思ったことは一度もない。ロジオンの特徴は観念的唯一者のそれであって、組織をつくり、その組織の指導者として自らの思想を実行化する者のそれではない。

 

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