ネット版「Д文学通信」12号(通算1442号)岩崎純一「絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘 ──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」(連載8)

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ネット版「Д文学通信」12号(通算1442号)           2021年11月17日

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「Д文学通信」   ドストエフスキー&宮沢賢 治:研究情報ミニコミ

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連載 第8回

絶対的一者、総合芸術、総合感覚をめぐる東西・男女の哲人の苦闘

──ニーチェ、松原寛、巫女の対比を中心に──」

 

岩崎純一日大芸術学部非常勤講師)

 

三、様式美としての哲人の生涯

 

ニーチェの生涯区分と哲学の手法 永劫回帰思想に到達した哲人の、非円環的著述

 

 ここまで、哲人たちの哲学の根底としての、幼少期・少年期・少女期の自我の葛藤と、学問的背景、肉親や異性との関わりについて見てきた。のちに「神」と呼ばれるものについての思惟の勃興期と言ってもよいだろう。そこには、哲人環境とも言えるであろう共通性が見て取れた。これらの体験がその後の実人生に甚だしい影響を及ぼしていることは言うまでもないが、一方でそこには、いかなる相違点があるのであろうか。

 そこで次に、ここにある表のように、絶対者・神と向き合った個々の哲人たちの人生を区分けし、哲人たちがこのような根底の上に展開した哲学ないし哲学的著作の手法の観察に移るとしたい。特に、西の哲人代表・ニーチェと東の哲人代表・松原寛の生涯を比較しておきたい。

 まず、ニーチェの主著を概観すれば、最初は、古典文献学者としての立場にありつつもその方法論を逸脱した『(音楽の精神からの)悲劇の誕生』を発表する。ニーチェは本著において、ギリシャ悲劇を基軸としながら、ドイツの歴史主義とロマン主義に基づく文化芸術の現状を挙げて批判し、これをもって一者・始原との合一を目指すディオニュソス的精神の復興を唱え、その体現者としてのワーグナーを称える。

 次いで、『反時代的考察』と、初のアフォリズム箴言)形式の著『人間的な、あまりにも人間的な』において、「あらゆる価値の転倒」を、旧来の実証主義に対するニーチェ実証主義として準備し、『曙光』、『悦ばしき知識』、『権力への意志』(死後に妹のエリーザベトが出版したが、「力への意志」概念は『人間的な』から登場)により価値の転倒を大成して「神の死」と「永劫回帰」を提示する。そして、『ツァラトゥストラはかく語りき』で「超人」、「力への意志」、「運命愛」思想を本格的に唱えて、『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』、『この人を見よ』により、自身の著作がなぜ誤解されており、ゆえになぜ名作であるかの膨大な注釈を行う。

 ニーチェの生涯をその思想によって大まかに区分すると、キリスト教信仰への疑念を契機とする、キリスト教以前のギリシャ的絶対者(根源的一者、始原の存在)との合一体験を導出するディオニュソス智慧の鼓舞(前期)、理想への執着を絶ち、懐疑して、あらゆる価値を転倒する自由精神の発動の高唱(中期)、永劫回帰する生の全面肯定を完遂する超人性の獲得の宣言および同質の超人の出現への期待の、三期に区分される。これらはいわば、「ニーチェの著作や師・友人からの評価やニーチェ学者らの批評から推定され、かつニーチェの著作手法の背後にある、ニーチェが師や友人や女性たちに取った態度であろうところの、ニーチェの実人生の過程」である。

 この三区分に主著を重ねれば、概ね『人間的な』を前期から中期の、『悦ばしき知識』を中期から後期の、過渡期の作であると見ることができよう。

 そこで、古典文献学的論述よりも圧倒的に多用された散文学的・詩的表現やアフォリズムの巧みな使用法も含めた、ニーチェ独特の著作技術において(ニーチェの実人生・生活ではなく著作人生という観点において)、これらの思想展開をより丁寧に見直せば、その生涯は、西洋哲人たちの典型的な、思想の目的論的進化と計算高い著作手法の乖離の過程を辿っている。ニーチェの著作の発表の仕方こそ、直線的・キリスト教的・非永劫回帰的有限時間にとらわれた人のそれであるという皮肉がある。

 『悲劇の誕生』一つを取っても、ニーチェの計算高さは、のちに悟ることになる、永劫回帰を甘受した超人のあり方からは甚だ遠い。その背景に、先に述べた少年期のキリスト者としての敬虔さと、古典文献学者としての高尚すぎる理知の名残がある。『悲劇の誕生』は、まず『音楽の精神(精髄)からの悲劇の誕生』として発表され、のちに『悲劇の誕生、あるいは、ギリシア精神とペシミズム』と改題されたが、これは、ニーチェ自身がこの著作の内容に苦しんでいたことを物語る。

 ニーチェは、当初は「アポロン的対ディオニュソス的」という対立を想定していたが、次第に「ソクラテス的対ディオニュソス的」という構図を持ち出し、新たに発生してしまった「アポロン的対ソクラテス的」という対立軸に、自ら苦しんでいるように思える。このようなニーチェの苦しみに着目している読者・研究者も少なくないと思うが、結局ニーチェは、「アポロン的・ソクラテス的なるものを廃絶・追放したディオニュソス芸術の復興」ではなく、「アポロン的・ソクラテス的なるものとディオニュソス的なるものとを包含・再統合した大いなるディオニュソス的なるものとしての芸術」を唱えていると見るべきである。(この「大いなるディオニュソス」は、清水正先生の好む表現である。)

 そうなると、ニーチェは必ずしも、反ソクラテス、反プラトン、反アリストテレス主義者ではなくなる。そして、事実、そうである。むしろニーチェは、衆愚・暴民の価値道徳に対する彼ら哲人たちの嘆きを理解していた。

 ニーチェは最終的に、ギリシャ世界においてアポロン的(というよりソクラテス的)なるものに偏向した哲学が発生したことも、中東の地でユダヤ教が発祥したことも、それらから西洋哲学とキリスト教が発展したことも、全てを永久に人類が繰り返さざるを得ない「大いなる悪運としての善」と見るように、ニーチェ自身が「進化」するのである。

 ニーチェの『悲劇の誕生』は、アポロン的(理知的)・ディオニュソス的(情動的)という独自の概念を盾にしたソクラテス批判やワーグナー擁護の著であったため、師のリッチュルにも評価されなかった。非同時代的な(古代の)哲学者批判と同時代の音楽家擁護がなぜ古典文献学らしからぬ手法で、ギリシャ悲劇を題材にして成り立つのか、師にもドイツの民にも全く理解されないのも当然であった。

 そこで落ち込んでしまったニーチェは、ドイツの文化芸術の現状を分かりやすく評論することにし、これは『反時代的考察』としてまとめられた。

『反時代的考察』を詳しく見ると、第一編の「ダーフィト・シュトラウス、告白者と著述家」は、ヘーゲル哲学・シュライアマハー哲学を引き継ぎ、汎神論的進化論に至ったダーフィト・シュトラウスを非難する論文である。ニーチェは、『悲劇の誕生』で提示した、教養にまみれただけの俗物性としての人物概念を、まずシュトラウスに適用し、「教養俗物」と名付けた。これもニーチェの計算通りである。この「教養俗物」は、のちの「弱者道徳」、「畜群道徳」、「僧侶道徳」、「奴隷道徳」へと発展することになるが、ニーチェの目には、普仏戦争で勝利したばかりのドイツの民が歓喜に沸き、それを思想的に主導しているシュトラウスの唱える「新しい信仰」が低俗信仰と映ったのであった。

 ところで、松原寛の卒業論文は、シュライアマハーに関するものであるが、松原寛のシュライアマハー熱も、その「秘中の秘」や「人間の第一意識」の思想に始原の一者への信仰の厚さを見たものであると思われる(『現代人の宗教』一四七頁)。しかし松原寛が、最もラディカルな価値転倒を行ったニーチェを直接には論じず、カントやヘーゲルやシュライアマハーばかりを遠回りに渉猟していたことは、先から示している通りである。

 第二編、「生に対する歴史の利害」では、ニーチェは、歴史に過剰な価値を見出してそれによって現在の生を縛る歴史主義を批判しているが、これは過去と現在と未来の価値が無価値的に永久反復する永劫回帰思想の、初期の姿である。

 第三編「教育者としてのショーペンハウアー」は、先のシュトラウス攻撃から一変し、ショーペンハウアーへの賞賛を示した論文である。シュトラウス攻撃のあとにショーペンハウアーの賞賛を持ってきたのは、ニーチェの計算であろうが、まず決定的に躓くのが(少なくとも私が躓いたのが)、汎神論的で仏教との親和性も持っている両者の思想が、ニーチェにとっては、片や教養俗物として唾棄すべきものに見え、片や賞賛すべきものに見えたという点である。この点については、ニーチェは、シュトラウスヘーゲルの歴史哲学を批判的に継承しつつ(つまりは、ヘーゲルの一派として)、国家・政治への介入を行ったこと、換言すれば、ショーペンハウアーのように超然として淡々と人間の(喜劇でも悲劇でもあり得る)実存・ペシミズムを見つめる姿勢に欠けていたことが、大変気に入らなかったのではないかと考える。

 ニーチェの考えたショーペンハウアーの「陽気さ」とは、国家・政治の悪質性を人間の実存の不安に否応なしに先行するものと前提して(個人の実存は国家よりも弱いから弾圧されているのだ、という創作を口実にして)自我が国家・政治を是正しようとする「受動的ニヒリズム」ではなく、あくまでも平然、超然、淡々として実存を観察し続ける「能動的ニヒリズム」の言い換えであり、ショーペンハウアー自身のうちにもその生き方を見たと思われる。

 『反時代的考察』は、ワーグナーへの絶望の始まりを予感させる書でもある。教養俗物としてのシュトラウス、天才的で陽気なニヒリズムの体現者たるショーペンハウアーを比較検討し、最後に第四論文「バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー」で、ワーグナーへの疑念をやや示しているからである。表向きは未だワーグナーへの心酔の言葉を並べているものの、書の構成を考えれば、明らかに「ショーペンハウアーを忘れ、シュライアマハー、ヘーゲルシュトラウスら俗物の仲間入りしてゆくワーグナーを見よ」という提示がこの著の趣旨である。

 こうして、『人間的な、あまりにも人間的な』において、ワーグナーとの決別が宣言されるのである。と同時にニーチェは、文献に当たる手法ではなく、文献を飛ばして始原を直観するための箴言の連発という手法を徹底していくことを決意し、それ以降、ニーチェは真の在野の哲人となった。だがそれゆえに、群衆道徳と直接に対決する、「陽気なペシミズム」でない、厳しい生涯ともなったのである。

 永劫回帰思想に至ったニーチェの著作方法そのものが、永劫回帰的でなく、むしろそれを避け、創世と終末とを意識したかのような構造、未来が永遠に過去に連結しない直線性を有する。

 一般に、ニーチェが到達した最高の哲学概念は「永劫回帰」や「運命愛(アモール・ファティ)」の思想であるというが、これは、仏教の輪廻転生とは異なり、今現にある生が、一回限りのものとして終わるのでなく、何度も繰り返される(輪廻からの解脱そのものが不可能・不在である)とする思想であり、その生の全面肯定の感覚体験を実人生において運命愛として抱えることを善しとする思想である。重要なことは、「生は一回限りのものである」と感じられる我々の自我が誤っていると言っているのではなく、生の肯定形式として積極的にこれを脳裏に描写し続けることができるかが問題なのである。

 例えば、「煩悩と愛着(あいじゃく)を捨てきれず、解脱できなければ、輪廻にとどまるのみである」、「輪廻の悪夢から離脱したいので、現世で善いことをしておきたい」といった「判断」や「反省」や「期待」さえ介入できない、受け付けない、問答無用の反復の名称が「永劫回帰」であり、ニーチェ自身はそれを悟ったと発表したのである。畜群・末人は輪廻転生するが、超人は永劫回帰するのである。

 ニーチェ永劫回帰論と言える体系的記述を行ったわけではないが、その主張に従えば、永劫回帰においては、善行をはたらけば報われるという、ルサンチマンに由来する全ての理想と道徳的因果関係は無意味であり、道徳的因果関係そのものの存在もない。哲学すること、信仰すること、芸術することによる良識の向上や低落は存在しない。全ての絶対主義は超克されるべきであるということだけを絶対とする、極限的相対主義のみが価値である。むしろ、そのことを宣言するために、哲学と信仰と芸術はあるべきである。

 西洋哲学を一括して断罪するニーチェの手法は、非常に過激で、しばしば憤怒にも満ちているのであるが、西洋文明の発祥そのものが持つ、人類史上における特殊性と覇権主義に直接目を向けさせる。ニーチェからすれば、ソクラテスが表れる以前のギリシャ人こそが(実は原始人や動物こそが)、大いなるディオニュソスとカオスの継承者、永劫回帰的・運命愛的実存の体現者である。

 自己を全否定する形でしか自己と絶対者の絶対性はなく、自己と他者とを極限まで相対化することで真に絶対化する(自己・他者否定によって自己・他者を肯定する)と「場所の論理」のみが残るとした西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」も、永劫回帰と運命愛に比定できるものの、ニーチェ永劫回帰と運命愛は、東洋的・仏教的諦念ともやはり異なる。西洋の旧態依然とした規範が敵であるだけに、これに意図的に抵抗して、一回性の連続、瞬間の永遠、一秒の無限をもっと能動的に甘受するものである。

 ニーチェが生きた当時のドイツにおける、広義のアーリア人種の起源の地に生まれたゴータマ・シッダールタは、永劫回帰・運命愛思想を完遂した人であると言える。今でもインドの奥地では、強引に釈迦牟尼の真似をしようとして、菩提樹の下で着座のまま餓死する仏僧が発見される。このように、永劫回帰においては、理念上は確かに過去と未来とが合致するのであるから、個人においてもその哲学思想の進化・進展も退化・退散もなく、ただ「今現在」の思弁と実践があるのみである。

 従って、このことを実人生で実践することのできている人間ならば、少なくとも狩りと食と睡眠と生殖行動のみを中心とする人生に徹するはずであり、自らの終焉、死期を悟ってこれまでの著作をまとめ上げたり、注釈を付けたりする行動に出てはならない(「様式」、「フォーマット」、「人生の仕様」などというものが不在のまま死ななければならない)と悟るはずである。日本の高齢者の間で流行しているエンディング・ノートなどはもってのほかで、超人の反対、俗人の典型、死ぬのが惜しいがためにやっている厚化粧・ファッションとしての死に化粧であろう。

 しかしながら、ニーチェ自身もまた、それまでの西洋の哲人たちやエンディング・ノートの作り手たちと同じく、永遠不変の絶対者の下で創世と終末という有限的時間にとらわれて生きるしかない、キリスト教道徳の被災者であったようだ。『この人を見よ』は、見事なエンディング・ノートになってしまった。ニーチェ自身の生涯を観察すると、そのことが如実に分かる。

 ニーチェニーチェ自身の超人的閃きの哲学に従順であれば、実存の永劫回帰の表れとしてのワーグナーの芸術に頓着せず、アフォリズムにまみれた(哲学という体系自体を考えない)『ツァラトゥストラ』のみを著して、そこで終わるはずである。だが、永劫回帰思想と超人思想よりも先に脳裏でほぼ設計・構築されていたであろう『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』の内容などは、『人間的な』で仄めかしておいたとは言え、人生の終期にようやく(実は計算通りに)その全貌を解説したのである。『ツァラトゥストラ』の不評とそれを嘆く自分の姿そのものが、哲人として想定内であったとも思える。

 本来は、因果関係、過去・現在・未来の先後関係の自由な逆転と雲散霧消こそが永劫回帰の甘受の完遂であるはずだが、ニーチェの著作人生はそうはなっていない。私も、これを単に思想の進化・深化と見ることには反対ではない。ただし、永劫回帰や運命愛を「新しい絶対真理」であると「解説」していく中で、(たとえニーチェにとってはそれが極端な相対主義的言説だと自負されていたとしても)ニーチェ個人においては若年期(『悲劇の誕生』発表直後の頃)のような大いなるディオニュソス的情動は次第に後退したと見ることもできる。

 つまり、師リッチュルから見放された時期こそが、ニーチェ自身の超人性のピークであったという見方もできるだろう。ニーチェでさえ出版社の事情とドイツ国民の群衆道徳に基づく希薄な関心のうちに巻き込まれ、思想表明を矮小化させられ、段々と超人性を鈍化させられた結果、ニーチェ自身が師や友人からの評価や群衆道徳を追いかけることに必死であったとも言えるだろうということである。

 元は敬虔なクリスチャンで、古典文献学者であったニーチェの文筆技術を見れば、狂気手前までは、歴史に要求された非常に計算高い著述人生であると言え、この有限的・直線的な(自身の始まり・誕生と終わり・葬送を明らかに意識している)キリスト教的時間論理は、キルケゴールの著作発表手法(「審美的著作」、「哲学的著作」から「宗教的著作」に至る三段階)と似ている。著作ごとに実証主義相対主義が増していきつつ、今度はそれが絶対化されているように見える。あるいは、高貴な道徳を備えた超人への道を目的論的な社会進化論と見れば、ニーチェは自身の人生をそのような進化論、自然淘汰説における勝者のそれと自負していた可能性もある。

 ナチズムは、これを勝手に利用して、ゲルマン・アーリア人種の優秀性を高唱したが、ニーチェの思想というよりもニーチェが採った(採らされた)著述・著作発表手法(世渡りの仕方)そのものに、社会進化論的画策があることは否めない。ニーチェの狂気はその思想自体にあるとも言われるが、周囲の群衆道徳のせいで自らの著述を自らの思想に永遠に合致させられなくなった言行不一致(外言語と内言語の大分裂)の運命こそが、狂気の引き金であったかもしれない。

 ニーチェは、実人生をキリスト教信仰によって開始し、永劫回帰を引き受ける超人を起承転結人生において悟ってしまい、『この人を見よ』でさえ高度な計算のもとに書いてしまったものだから、その哲学構想と実作の矛盾に自分自身の身が冒されてしまった。思想と著述手法の乖離を引き起こさないように留意できる哲人だけが、精神の病に陥らずに済むのである。

 だが、ニーチェは表裏無矛盾ではある。裏がないとも言える。ニーチェの気がおかしい時期にドイツ国民や他の哲学者らが彼を健康だと思ったことはなかったし、ニーチェ自身がドイツ国民や他の哲学者らを勘違いさせようとしてそういう文章を書いたこともない。

 むしろ、ニーチェへの勘違いと偏愛の両方を持っていた妹のエリーザベトのほうが、『権力への意志』でそれをしてしまったくらいだ。無論これは、世に言われるような意地悪な心で企図した編集・改竄ではなく、幼い頃から見てきた兄ニーチェへの極度の敬意からくる行動だったと思われるが。

 ところで、清水先生からも、思弁・内言語の展開の圧倒的速度とその外言語への再現の遅滞と不可能性についての苦闘がしばしば聞かれる。これは当然、具体的には先生愛用のポメラ(デジタルメモ機器の一つ)の文字入力のスピードが追いつかない苛立たしさとして表れる。しかし、前述のような幼少時の後遺症体験や「世界真っ白」体験を持つ清水先生がこれまでニーチェのような狂乱に陥っていないのは、著述手法のほうを内言語に合わせているからである。(ちなみに、ニーチェが呼ぶ畜群・奴隷とは、大して優れてもいない内言語しか持たないがために、日常語で生涯を終えることができてしまう人々のことである。)

 ただし、清水先生や私、すなわち日本人は、一文ごとに逐一主語と述語を設定すべき構文「しか」持たない西洋語ではなく、人称と主述関係の曖昧な日本語で哲学できているという利点もある。母語が日本語であること自体が、松原寛や清水先生や私の狂気や分裂病を防いでいるとも言える。これには精神病理学的・言語学的説明も可能であるが、詳細は省くとして、ともかく我々は、ニーチェがその思想をドイツ語で展開するほかなかった悲嘆に、思いを寄せるべきであろう。

 

執筆者プロフィール

岩崎純一(いわさき じゅんいち)

1982年生。東京大学教養学部中退。財団事務局長。日大芸術学部非常勤講師。その傍ら共感覚研究、和歌詠進・解読、作曲、人口言語「岩崎式言語体系」開発など(岩崎純一学術研究所)。自身の共感覚、超音波知覚などの特殊知覚が科学者に実験・研究され、自らも知覚と芸術との関係など学際的な講義を行う。著書に『音に色が見える世界』(PHP新書)など。バレエ曲に『夕麗』、『丹頂の舞』。著作物リポジトリ「岩崎純一総合アーカイブ」をスタッフと展開中。

 

ネット版「Д文学通信」編集・発行人:清水正                             発行所:【Д文学研究会】

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2021年9月21日のズームによる特別講義

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「松原寛と日藝百年」展示会の模様を動画でご案内します。

日大芸術学部芸術資料館にて開催中

2021年10月19日~11月12日まで

https://youtu.be/S2Z_fARjQUI松原寛と日藝百年」展示会場動画

https://youtu.be/k2hMvVeYGgs松原寛と日藝百年」日藝百年を物語る発行物
https://youtu.be/Eq7lKBAm-hA松原寛と日藝百年」松原寛先生之像と柳原義達について
https://youtu.be/lbyMw5b4imM松原寛と日藝百年」松原寛の遺稿ノート
https://youtu.be/m8NmsUT32bc松原寛と日藝百年」松原寛の生原稿
https://youtu.be/4VI05JELNTs松原寛と日藝百年」松原寛の著作

 

日本大学芸術学部芸術資料館で「松原寛と日藝百年」の展示会が開催されています。 

 

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