「清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕200周年に寄せて」展示会の感想を何回かにわたって紹介します。(連載7)
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「清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕200周年に寄せて」展示会の感想を何回かにわたって紹介します。(連載7)
【8】
私は「表現する情熱」とは "出会い" と "好き" から来ていると考える。
清水先生の展示会を見学している時に強く感じたことだが、自分の人生をも変えてしまうほどの本や作家に "出会い"、そこから生まれ育まれた "好き" という感情から溢れ出す情熱は絶えることがなく、この情熱こそが表現活動へと繋がっているのだと思う。"出会い"、そして "好き" という感情がなければ、何十年も研究や批評などできないだろうし、あんな膨大な量の作品や本ができるわけがない。
また、文芸学科の人や文学に携わる人は何気なく手にした本から微量でも情熱をもらっているのではないかと思う。それでももっと大きな情熱を求め日々作品と触れ合っている人もいれば、すでに自分の人生を変える本や作家に出会え、情熱を注ぐ人もいるのだろう。清水先生がドストエフスキー作品に出会ったように、私も人生を変えるほどの一冊の本や一人の作家に出会いたいと思った。
ここからはレポートというより感想となってしまうが、清水先生の手書きの生原稿を見た瞬間、「これが文学に対する情熱なのだな」と深く感じた。手書き(筆圧など)がまた一層味が出ていて、情熱の塊のように思えた。手書きの原稿だからこそ感じ取ることができる情熱がそこにはあった。清水先生の講演を通して、文学作品との向き合い方を改めて学ぶことができた。中でも、苦手な作品のパッと気になったページを適当に開いて読んでみる楽しみ方や翻訳された本を一人が訳した物だけで満足するのではなく、色んな人が訳した物も読んで比較することの意義(その大切さ)など、たくさん心にしみる話があり、とても面白かった。
【9】
「表現する情熱」と「知りたいという情熱」はイコールで結び付けられると思う。なぜ文学を改めて自分流に表現(批評)するのかと言えば、それは新しい読み方を見つけたいという野心や情熱からくるものであろう。それを証拠に、展示資料には当時ドストエフスキーといえば小林秀雄であった時代に「小林秀雄をいかに乗り越えるか。それが当時の課題であった。」と書いてある。なぜ乗り越えるのかと言えば、それは小林氏に勝ちたいからという理由ではないだろう。「もっと先へ進みたい=もっと(ドストエフスキーを)知りたい」という希望のために彼は小林氏を乗り越える必要があったのだ。 全ての出来事は先人を乗り越えることで積み重なっていくと考えることができる。乗り越えることができなかった時にそれは衰退の一途を辿ってしまう。例えばチェンカイコーの映画に「花の生涯」というものがあるが、あれに出てくる京劇俳優がもし師匠に勝っていなかったら京劇は衰退していたであろう。であるから次の世代がまた清水正氏を乗り越えなければならないわけである。
2021年9月21日のズームによる特別講義
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動画撮影は2021年9月8日・伊藤景
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清水正・批評の軌跡Web版で「清水正・ドストエフスキー論全集」第1巻~11巻までの紹介を見ることができます。
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撮影・伊藤景