帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載7) 師匠と弟子

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載7)

師匠と弟子

清水正

 

 ドストエフスキーが『悪霊』で取り上げたゲラサの豚の場面を見てみよう。

 

  エスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。

  この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。

  彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。

  それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。

  彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、

  大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」

  それはイエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。

 

 イエス一行がゲラサの地に着いた時、まず最初に反応したのは墓場の狂人である。この狂人に入り込んでいた〈汚れた霊〉は瞬時にイエスが〈いと高き神の子〉であることを看破している。この〈汚れた霊〉はイエスから「この人から出て行け」と命じられると「どうか私を苦しめないでください」と懇願する。〈汚れた霊〉が墓場の狂人から出ることが、どうして彼らの苦しみとなるのか。そもそも〈汚れた霊〉は自らの意志で墓場の狂人に入り込んだのか、それとも彼らよりも霊格の高いものによって封じ込められたのか。封じ込められたとすればいかなる理由によるのか。〈汚れた霊〉にとって狂人の中に入り込んでいる状態は、彼らにとって安逸だったのであろうか。外に出ることが彼らにとって苦しみを意味するのなら、とうぜんそのように考えられる。

 

  それで、「おまえの名は何か。」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と言った。

  そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。

  ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。

  彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」

  イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。

  豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。

  そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。

  見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。

  すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。

  それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。

  しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」

  そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。(67)

 

  イエスは〈汚れた霊〉の申し出を受け入れた。なぜ〈汚れた霊〉は豚に入ることを望んだのか。なぜイエスはそれを受け入れたのか。疑問だらけである。〈汚れた霊〉にとり憑かれた二千匹の豚は狂ったように崖を駆け降り、湖に飛び込んでことごとく溺れ死んでしまう。この光景をリアルに脳内映像化できる者にとっては実に凄まじいばかりである。崖を爆走し、湖へ向かって駆け下りる二千匹の豚の悲鳴が聞こえるだろうか。たちまちのうちに血潮に染まる湖面、驚愕の面もちで成り行きを見守る豚飼いたちの表情が見えるだろうか。イエスの弟子たちは、この狂気じみた光景をどのように受け止めていたのか。

 『悪霊』論でも書いたが、この「ゲラサの豚」の場面をドストエフスキーですら的確には捉え切れていない。なぜ、〈汚れた霊〉は豚に入り込むことをイエスに願ったのか。ここには一筋縄ではいかない、イエスと〈汚れた霊〉との間で取り交わされた約束(契約)がある。

 ドストエフスキーは当時の革命家を〈汚れた霊〉にとり憑かれた豚と見て、彼らは死すべき運命にあると見なした。しかし、こういった図式的な見方で革命家の運命を決定づけることはできない。現に、革命家の首魁を装った二重スパイの豚野郎ピョートル・ヴェルホヴェーンスキーは無傷のまま『悪霊』の舞台となったスクヴァレーシニキを軽やかに通り過ぎている。

 〈汚れた霊〉は二千匹の豚に乗り移った。豚どもは発狂して湖に溺れ死んだ。注意せよ。死んだのは豚であって〈汚れた霊〉ではない。〈汚れた霊〉は死んだかに見せて、生き続けている。死んだ豚どもから解放されて天空を飛翔する〈汚れた霊〉の姿が視えるのでなければ、このゲラサの豚の場面を読んだことにはならない。

 

ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4