近況報告
昨日、久しぶりに尾畑春夫氏のインタビュー動画を観た。二年前、行方不明になった子供を現地についてすぐに発見したことで、一躍有名になったひとである。尾畑氏はわたしより十年先輩であるから今年81歳である。とにかく元気はつらつで、どこから見ても隠居老人には見えない、現役のボランティアである。「スーパーボランティア」と言われると「わしはスーパーでもコンビニでもデパートでもない」とユーモアで切り返す粋人でもある。腰が低く、だれにでも好かれ、彼に出会ったひとは例外なく元気と癒しを授かる。ニーチェの超人とかラスコーリニコフの比凡人などという青春期の観念的麻疹のようなものでなく、尾畑氏の凡人哲学は自らの人生体験に立脚した確固たるものである。日常の暮らしの中に脈々と受け継がれていく凡の哲学はすばらしい。日本語の「平凡」にしばし立ち止まり、そこにじっくりと身を置きたい心境にもなる。尾畑氏のインタビュー動画二本を貼り付けておきましたので是非ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=0sIwvFfik8I
https://www.youtube.com/watch?v=b9IQ4bCKxvw
師匠と弟子
はたして人間は誰もが永遠の命など求めているのだろうか。もし人間がこの地上世界に永遠に生きなければならないとしたらそれこそが地獄であるかもしれないではないか。死ぬことのできない人生、少し想像力のある人間ならこういった人生にこそ恐怖を覚えるだろう。わたしは人生の神秘、存在の神秘は〈今〉〈ここ〉の無における有の顕現だと思っているので、イエスの言葉や彼の起こす奇跡に衝撃を覚えることはない。
何度でも言うが、死者を蘇らせたり、病人を治したり、パンや魚の数を増やしたり、湖の上を歩いたりといった奇跡を起こすイエスにあまり心を動かされることはない。福音書に書かれたことをドストエフスキーの作品を読む方法で読み進んでいけば、数多くの矛盾が露呈してくる。福音書だけでもマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネと四種類あること自体が、イエスの絶対性を茶化しているようなものである。四福音書に書かれたイエスの言行に一致が見られないのであるから、イエスはそもそものはじめから相対化の舞台に投じられた存在ということになる。ニーチェの言葉をもじって言えば「イエス自体はなく、解釈あるのみ」ということになる。四福音書の存在自体が、読者にイエスに関する様々な解釈をはじめから許容しているということになる。
今日までに積み上げられてきた福音書研究は膨大な量を誇るであろう。わたしはそういった迷宮の森に参入する気はまったくない。わたしは福音書をただ虚心に読むだけである。わたしはひとりの山下清となって、福音書を読み進んで行きたいと思う。わかったようなつもりになることだけは避けたい。
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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube