帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載5) 師匠と弟子

近況報告

様々な動画を観ているが、近ごろはまったのが猫動画で、とにかく観ている間中こころが癒される。歳のせいかもしれないが、観ていて苛立つようなものよりは、はるかにいい。二週間ばかり前「森翔吾チャンネル」に出会った。ロシア人女性と結婚して子供をもうけた日本人男性のチャンネルで、嫁さんのロシアの実家でのダーチャ(別荘)生活などが紹介されている。ロシアの広大な大地、四方八方に地平線がひろがり、観ているものにまでさわやかな風が吹き来るような感じを存分に味わうことができる。家族そろって野イチゴをつんだり、赤ちゃんと共に過ごす光景にこころがなごむ。政治や経済の問題を議論しはじめると頭が痛くなるが、このチャンネルを観ていると単純素朴に人間ていいなと思うし、どこの世界にあっても人間の平凡で愛に満ちた暮らしがあるのだということを知ることができる。とにかく、生まれて何か月かの赤ちゃんの笑顔がすばらしい。子供は宝だ、とつくづく思う。家族の愛をたっぷり受けた子供の未来に乾杯したいと思う。議論すると、諍いが起きたり、感情の対立が生じてにっちもさっちもいかなくなる。人間の平凡な暮らしの豊かさを忘れないようにしたいものだと思う。

「森翔吾チャンネル」をぜひ観てください。

https://www.youtube.com/watch?v=tefAPKHmF7E

 

帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載5)

師匠と弟子

清水正

 そもそもソーニャが「なんでもしてくださる」と信じている神様は、ソーニャに対して何一つ救いの手を延ばしていない。ソーニャはキリストの〈幻=видение〉を視ることができるが、それが彼女の前に現れて具体的な救助策を講じてくれたわけではない。ソーニャを淫売稼業から救ってくれたのはスヴィドリガイロフであって神様ではない。『罪と罰』の世界ではソーニャが視る〈幻=神〉は描かれるが、神様自身はどこにも登場しない。人間イエスもキリスト・イエスも完璧に姿を現さない。

 わたしは狂信者ソーニャの信仰と共に生きることはできない。思弁の代わりに命が到来したロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフと共に生きることもできない。ドストエフスキーはロジオンをエピローグにおいて復活の曙光に輝かせたが、そのことによって彼自身がソーニャの信仰を得ていたわけではない。彼はあくまでも描く側にとどまっており、『罪と罰』で自らの信仰を告白しているわけではない。アルベール・カミュは「すべての登場人物が私である」と書いている。この言葉は説得力がある。『罪と罰』で言えば、ドストエフスキーはロジオン・ロマーノヴィチでもあり、ソーニャでもあり、スヴィドリガイロフでもあり、ポルフィーリイ予審判事でもあり、レベジャートニコフやルージンですらあるということである。これはどういうことかと言えば、作者はどの人物とも全的には一致していないということである。作者はキリスト者でもあり反キリスト者でもあるということ、すなわちドストエフスキーのような小説家にとってはすべての人物が等価であり、そのうちの誰一人とも同一性を獲得できないということである。わたしはこういった人間を意識空間内分裂者と名付けた。要するに正気を維持したまま意識空間において分裂している者である。意識空間において無数に分裂した〈我〉を統括する演出家としての〈我〉の機能に異常が発生すれば、分裂症に陥るほかはない存在である。

 書き手としてのドストエフスキーが、作者としてすべての人物を等しい価値を備えた者として描き出し、そのことに充足しているのであれば問題はない。もしドストエフスキーが一人の実存者として信仰に直面すれば、「私はキリスト者でもあり、反キリストでもある」というような曖昧な態度をとることはできなくなる。にもかかわらず、バフチンの言うポリフォニックな思考法の持ち主は、一義的な判断を下すことはできない。彼は信仰者ソーニャを描くことはできても、彼女と共に生きることはできず、命尽きるまで描く人間、小説家にとどまった。

 なぜイエスは弟子などつくらず、ただひとりで行動しなかったのであろうか。そもそも彼はこの世界で何をしたかったのであろう。ヨハネ福音書のイエスは「私は復活であり、命である。私を信じる者は、たとい死すとも生き返る。また、生きて、私を信じる者は、永遠に死ぬことがない」と断言している。ここでイエスが強調していることは、彼を信じれば永遠に死ぬことがないという保証である。ここには、すべての人間は永遠の命を求めているということが前提になっている。一度死んだら絶対に復活などさせないでくれ、人生は一度で結構、限られた人生を生き尽くせばそれでよし、と思うような人間に対してはイエスの言葉はそれほど説得力がない。

 

 

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shimizumasashi20@gmail.com

 

ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4