清水正の文芸時評 上田榮子の「海鳥のコロニー」

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清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

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 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 
「文芸批評論」の受講生、大学院の受講生は下に貼り付けた「文芸時評」で取り上げた小説家に関する批評を読んでください。
第7回

上田榮子の「海鳥のコロニー」
清水 正


魂のミットに剛速球を投げ込んだ小説
〈純文学〉雑誌に発表されている大半の小説を読んで感じるのは、読者の魂にまで届く剛速球を投げられる投手がきわめて稀ということだ。たいていの球がキャッチャーのミットまで届かぬやわな球ばかりだ。これじゃ、球を打とうにも打てない。バッターボックスに立っているのがアホらしく感じるほどだ。が、それだけにミットに届く球が投げられたときの感動は大きい。
 わたしは自分の眼で小説を読んでいるから、それが巻頭に置かれようと、小さな活字で組んであろうと、そういったことはいっさい考慮しない。大家だろうが新人だろうがまったく関係ない。わたしが佐藤洋二郎や南木佳士を日常深淵派の作家として高く評価するのは、彼らが人間の生きてあるその姿を厳しく直視し、そこから言語表現を模索し格闘しているからに他ならない。どんなに技術を磨き、文章がうまくなっても、その作品に魂がこもっていなければ読者を感動させることはできない。今回、わたしの魂のミットに球を投げ込んだ作家は上田榮子、その作品は「海鳥のコロニー」(「文學界」六月)である。
 語り手は外資系大手広告代理店を定年退職したばかりの鍵谷協子、五十八歳、独身。協子は上司の男と同棲した経験はあるが結婚はしなかった。いつの間にかペンギン体型になってしまった協子は「羽が痕跡器官になってよちよち歩きの飛べないペンギン、波打ち際には泡が立ち、果てしもなく海が広がっている。そう、ペンギンは絶滅危惧動物のレッドリストに入っている。若い女性たちは伸びやかにしたたかにやっているのに、生殖にも子育てにも励まず子宮を痕跡器官にしてしまったわたしのようなひと昔前の独身女は、レッドリスク入りなのだろうか」と思う。協子は〈独り者の後始末を引き受ける女性の互助団体〉を創ろうと、友人の丹羽容子に相談する。容子は協子より五歳下のフランス料理の研究家で、息子(潤)が一人いる未婚の母である。相談の結果、会長には著名人の三枝女史を担ぎだすことにする。協子は会の名前を「飛ぶペンギンの会」はどうかと思うが、結局、女史の提案したドイツ語の「ゲヴォーント」に決まる。これはゲーテの詩「ゲヴォーント・ゲタァーン」(女史の説明によれば「慣れ親しんできたことを新しい気持ちでやり直して行こう!」という意味)から採ったもので、〈新生〉という意味合いで使うことになる。彼女たちがわざわざドイツ語から採ったのは、容子の「会の名前はあまり露骨でない方がいい」、女史の「あからさまでない方がいい」という考えに基づいている。会の内容は「葬送に関する一切の相談と代行、遺したいこと一切の相談、法律相談の手伝い、いざという時の金銭管理、法的相続人への伝言、新しい仲間づくりのための行事、勉強会、シンポジウム」等である。第一回目の出席者は二十一名。協子は出席者の不安を隠した表情を見ているうちに、彼女たちの姿がコロニーに取り残された〈換羽期に空腹に耐えているペンギン〉のように見えてくる。協子は「こんな会に参加するのは行き詰まった自分を抱え、独りの時間に耐えている人たちに違いない。おしゃれで社会性も備えた女性、こんな人たちこそが自立の果ての行きつく場、自分の落ち着き場所を学びたがっているのだ」と思い、自分の想いは外れていなかったと確信する。
 しばらくして容子が入院、胃の手術をする。協子は担当医から容子が末期の癌であること、余命は三、四ヵ月、よくて半年と告げられる。女史は「余命告知は、せめて半年か一年の人よ。それくらい間がないと告知の意味はない」と言い、協子もまた「死は頭で知るよりも自らの身体が緩やかに教えて暮れる方がいい」と考え、容子には末期癌を告げず、抗ガン剤もホスピスも拒んで在宅治療を選ぶ。容子は息子の潤に父親のことについては何も話していない。潤は容子と喧嘩して家を出てしまったが、容子はその事情を誰にも話さない。協子も女史も、友人とは言え、容子の内部に踏み込むことはしない。彼女たちは「飲み喰いをし、喋りあって多くの時間を過ごし、あけすけに冗談を言いあってはいるが本心を言うことはない」そういった関係を保持してきた。なぜなら「本心を言えば、お互い困惑してしまうばかりか、関係も壊してしまうのをよく知っている」からである。
 協子は潤の所在を知っているかも知れないと、喫茶店のマスターのギッちゃんに電話する。協子は、潤は同棲していた女と別れ、アメリカ旅行に発ったまま連絡はないことを知る。ある日、協子は退院してきた容子を訪ねるとそこに衣類の山がある。拾い上げて見ると、「むちゃくちゃな鋏の跡があるものや引き裂かれたもの」がある。協子は陽気に「ああ、勿体ない」と言いながら、「彼女は自分の過去を切り刻みたいのだ」と思う。この場面は背筋がゾッとするほど戦慄的だ。身近な人、愛する人の余命告知を受けた者なら、この場面に言葉を失うだろう。〈自立の果ての行きつく場〉・・一人息子の潤から何の音沙汰もない容子はその孤独に耐えている。協子もまた自分の人生を振り返り、「怠けはしなかったけれど、いま残っているものはなにもない」現実に耐えている。
 再入院した容子。容子を車椅子にのせて散歩。陽を浴びた顔を眩しげにして、容子は協子を見上げる。「飛べ、ペンギンよ」容子は手を差し出す。「飛ぼう、飛ぼう。元気を出そう」協子は容子の肩掛けを直し、芝生の囲みを回る。「小首を傾げ両手を膝に置いた容子さんの姿勢に、氷山の一角に立ち尽くしていたペンギンが一気に飛ぶ清々とした情景が重なった。涙が溢れてきて辺りが霞んでしまう」。再入院から四週目に入ろうとした日、容子は息を引き取る。
 「死はいつでも不意打ちをかけてくる」・・親友を失った協子の苦い思いだ。この小説は協子、容子、三枝女史、三人それぞれの〈孤独〉を大袈裟ではなく、静かにしみ入るように描き出している。死は死で完結するのではなく、再生(新生)を孕んでいる。その大きなテーマを〈あからさま〉でなく、分かる者にだけ分かるように、抑制された筆致で描いている。潤を最後まで登場させなかったのもいい。ひとは自分にしか分からない秘密を抱いて死んでいく。友人といえども、その秘密に踏み込むことは許されないのだ。そういった距離感覚をしっかりと保った自立した大人の女たちのドラマである。わたしは読みながら、自分の体験を重ね合わせ、涙の流れるままにまかせた。ひとはみな〈孤独〉で、〈死〉に対して無力であるが、そんな孤独な人間が死んでいく、その傍らにそっと寄り添うことはできる。「ゲヴォートの会」は確かに〈独り者の後始末を引き受ける女性の互助団体〉(ペンキンの会)を超えた。容子を密かに愛していたギッちゃんも、一人息子の潤もまた、この会に参加できるのだ。作者は自立した女たちの行き着く場をしっかりと見据えることで、女や男といった性別を超えた人間の孤独と死を微塵の感傷もまじえず描き出した。生を見つめることは死をみつめることであり、愛する者の死に立ち会うことは〈新生〉を切に願うことである。
(「図書新聞」2002年6月8日)