清水正講師担当科目に関するお知らせ・第6回目


清水正講師担当科目に関するお知らせ・第6回目

「マンガ論」「文芸批評論」受講生は下の動画を観てください。2015年の11月に録画したものです。入院前で、まだ元気があった頃の授業です。「罪と罰」における死と復活をテーマに話を進めています。このブログに常時張り付けてあるのでわたしの動画では最も再生数が多いものです。今まで誰も指摘していなかった新解釈を展開していますが、ドストエフスキー初心者には、何が革新的な解釈かも理解できないと思います。何十年もかけて読み続けてこなければ見えてこない世界というものがあります。「罪と罰」の中でソーニャがロジオンに請われて朗読する「ラザロの復活」の場面に関して、わたしは今も批評し続けています。この場面は驚くべき神秘的な場面で、何度読み返しても新たな発見があります。

 わたしが最初に「罪と罰」に関して批評したのは二十歳の時、日藝文芸学科に入学した年です。大学紛争で授業はできず、わたしは江古田の段ボール工場で一時間百円のバイトをしながら「白痴」論「悪霊」論「カラマーゾフの兄弟」論と書き進め、最後に「罪と罰」論を書き終えて、それらを「ドストエフスキー体験」として一冊にまとめ、二十歳の時に自費出版しました。早稲田の大隈会館で「ドストエーフスキイの会」の総会が行われたとき、わたしはこの本を持参し、小沼文彦氏に二冊、江川卓氏に一冊購入していただきました。そんなこんなの縁でわたしは小沼氏が主宰する「日本ドストエフスキー協会資料センター」に一年ほど通ったこともあります。

わたしが大学に入学した昭和43年は熱い政治的季節で、学生たちはみなノンポリを含め、大学改革や社会改革の情熱にあふれていたように思う。江古田駅から校舎まで連日デモ行進が繰り返され、やがて校舎は封鎖されることになった。わたしは当時から革命幻想はなく、ひたすらドストエフスキーを読み続けていた。文学はひとりでなす革命だと思っているので、その戦いは今も続いている。ドストエフスキーは日本で革命運動が活発化する百年も前に「悪霊」を書いて革命の幻想性を鋭く剔抉していたにもかかわらず、当時の革命運動家にはそれが見えなかった。否、2020年の現在においても事情は変わらない。共産主義という怪物は資本主義の衣装をまとって日本の政界財界人をかどわかし続けている。

今の政治家や財界人に欠けているのは文学や哲学である。プーチンと外交交渉に臨む日本のトップがトルストイの「戦争と平和」やドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいればどれだけ説得力のある顔つきになるだろうと思う。が、まったく期待していない。国家ヴィジョンを明確に打ち出せない、構想力、決断力がない。スピード感がまったく感じられない。

わたしは老人なので自粛政策に不満はないが、若い人たちが「おとなしい」のはどういうことだろう。知らぬ間に牙も爪も抜かれてしまったのだろうか。