神尾和由の新世界(連載1)

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神尾和由の新世界(連載1)

清水正

 

神尾和由の「丘」を観る

 2017年11月某日、ギャラリーユニコンでの「神尾和由展」(2017.11.19~12.3)案内の葉書が届いた。文面に手書きで「お時間ありましたら是非見て下さい。KAMIO」とあった。
 神尾さんと最後にあったのは1993年5月17日である。この日を正確に覚えているのは、当時わたしは「江古田文学」の編集長をしており、神尾さんに表紙絵をお願いした経緯を24号の編集後記に書いておいたからである。
 この編集後記は「江古田文学」100号記念号に掲載した「情念で綴る「江古田文学」クロニクル――または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様――」に再録した(当ブログでも載せましたが、この文章の最後に再び載せておきます)。

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神尾和由画 「丘」60号変形

 案内の葉書に「作家関係者によるパーティ」が11月19日の午後四時からあるというので、24年ぶりに是非お会いしたいと思ったのだが、帯状疱疹後神経痛と難病治療中のこともあり、残念ながら欠席せざるを得なかった。

 葉書に記された略歴によれば神尾さんは1948年に愛知県瀬戸市に生まれ、1971年に日本大学芸術学部美術学科油絵科を卒業している。1982年~2005年までの23年間をローマに滞在し、現在は国画会会員とある。

 展示会へ行くことができなかったので、葉書に印刷された作品(「丘」60号変形)をしばし眺めていた。「江古田文学」24号(1993.8.20)、25号(1994.3.30)、26号(1994.10.15)、27号(1995.2.20)の表紙を飾った絵は青を基調にした抽象画であったが、二十数年を経て葉書に印刷されていた絵は黄土色を基調にした具象画に変わっていた。

 神尾さんの中で何が起きたのだろうか。葉書を手にして、ずいぶんと画風が変わったな、というのが最初の感想であった。抽象画には多層の具象が埋め込められており、抽象の線を想像力豊かに繋げていけば、鮮やかに具象の姿が浮上してくることもある。抽象画の鑑賞の仕方にはいろいろあろうが、わたしはそこに作者の精神・感情の直接的な反映を見たり、秘められたさまざまな具象の姿をかいま見てそこに作者の動的な精神のドラマを想像して楽しんだりする。

 青という色彩から受けるイメージは冷静、透明、寂寥、孤独、煩悶、孤立、憂鬱、絶望、死などである。芸術家は孤独に徹していなければ、観る者の魂を戦慄させる作品を創造することはできない。わたしの批評家としての実存的信条は「ひとり ひとりで ひとり」である。この信条はひとり批評家のものではなく、すべての芸術家に共通したものであろう。社会の商業的要請に迎合して作品を仕上げるひとは別として、自己の内在的欲求に従ってキャンバスに向かう絵描きは厳しく孤独に徹しなければならない。青を基調とした絵を描き続けていた横尾さんはまさにそういった芸術家の一人である。

 孤独に徹するということは、孤独に閉塞することではない。孤独に淫し、孤独に溺れるひとに、魂の解放はない。「江古田文学」の表紙絵の基調となった神尾さんの青は、自らの孤独を客観視していることで透明感を獲得している。孤独と癒着せず、孤独を精神の自由な世界に放し飼いして楽しんでいると言ってもいい。青は暗い憂鬱なイメージの檻から解放されて、観る者に楽しく明るい音楽をさえ響かせる。


 「丘」には三人の男と一匹の犬、壷、二本の立木が描かれている。画面左の男は白いパンツと白い靴を履いている。上半身は裸で背中を向け、顔は右に向けている。真ん中の男は白い半袖シャツと白いズボン、裸足で顔は左に向けている。三番目の男は白い半袖シャツ、薄い灰色の半ズボンを穿いて正面を向いている。

 彼らはジョギングする者、たたずむ者、散歩する者のごとくに描かれているが、すぐに気づくのは彼らの視線が交わっていないことである。ぽつんと描かれた一匹の犬もが目線をはずしている。画面上部左右に描かれた二本の立木もまた孤立しており、その間の交信は閉ざされているように見える。第一と第二の男の間に置かれている茶色の壷もまた、他の存在と無関係に孤立してある(かのように描かれている)。
 
 男たちが立ち、二本の木が立ち、犬が立ち、壷が立っている三角台地は土色に描かれ、それは山、ピラミッド、教会、墳墓などをイメージさせる。
 
 土色にひとはどのようなイメージを抱くのか。土は生命を生み出し死を受容する。神尾さんの土色が見るものに安らぎを感じさせるのは、土色が生と死を包み込んだ永遠の大地を象徴しているからであうか。
 
 立っている男たちは立ち止まっているように見えるが、これは動を孕んだ静の姿で、謂わば時を停止させた〈永遠の姿〉である。男たちは〈墳墓〉(死)から蘇生した者たちであり、〈墳墓〉(死)へと還りゆく者たちである。彼らは生者であり死者であり、〈永遠の時空〉に顕現した者たちである。この〈永遠の時空〉に顕現した男たちは人間としての特権を与えられていない。この〈永遠の時空〉では人間も犬も木も壷も土も空もすべて等しい価値をもった存在である。

 神尾さんの「丘」は〈永遠の時空〉としての〈母なる大地〉(母胎)、魂の原郷を感じさせる。

 第三の男の背後には箱型の建物が描かれている。建物の正面の四角い大きめな戸はしっかりと閉ざされている。この建物の中にはいったい誰が住んでいるのだろうか。

 ヒントは第一と第二の男の間に置かれた壷にある。画面には三人の男が描かれているが、女は一人も描かれていない。絵の中で、壷は女を象徴している。この壷が閉ざされた建物の中に潜む女性を象徴的に指示していると見ることができる。三人の男と一匹の犬が歩きながら、たたずみながら探していたものとは〈永遠の時空〉を体現した女神にほかならなかったということになる。


 「丘」の画面には様々な象徴的な線が隠されている。三人の男を直線(A線)でつなぎ、画面左右の二本の立木を横線(B線)でつなぐと十字架を意味する線となる。第三の男の背後の建物はこの文脈では教会堂となり、中には聖母マリア的な永遠の女性が潜んでいることになる。

 丘自体は巨大なロボットの仮面のように見え、直線と曲線でバランスよく描かれている。また画面には男性三人の他に女性のシンボルとして壷と画面左の立木が描かれている。つまりこの「丘」は直線と曲線、男性性と女性性がバランスよく配置されている。全体の印象として、女性性が優位を保っているように感じるのは〈丘〉が巨大な乳房、基調の土色が母なる大地、命を生み育てる肥沃な土壌を意味しているからであろうか。

 

参考資料として「江古田文学」24号の編集後記を再録しておく。

 ■二〇年前、わたしが大学を卒業してすぐに文芸学科に残った頃のふた昔前の話である。学科事務室に神尾佳代子さんという美術学科を卒業された方が勤めておられた。ある日のこと、前日のテレビで放映されたモジリアニをモデルにした『モンパルナスの灯』が話題にのぼった。神尾さんのご主人は毛布を頭からすっぽりかぶって、わずかばかりの隙間からだまって観ていたとのことであった。その時わたしは神尾さんのご主人に興味を抱いた。機会があれば一度ぜひお目にかかりたいと思った。しばらくしてわたしはその機会を得た。
■神尾宅におじゃましてわたしは初めてご主人と会うことになった。彼は描きかけの静物画のキャンバスを背に座っていた。彼は初対面のわたしに向かっていきなり「あなたは何をしている方ですか」と静かではあったが鋭く問うてきた。わたしは彼以外にこのように問われたことはそれまで一度もなかった。そこでわたしもいきなり、彼の描きかけの絵を批評した。
■彼は“存在そのもの”を描こうとしていた。“ある”ということ、“ある”という決して眼には見えないものをはっきりとキャンバス上に描きだそうと苦闘している姿がそこにあった。そこには一片のてらいも気取りもなかった。
■何時間が過ぎたただろうか。彼はおもむろに立ち上がると「自分の絵をすべてみてくれ」といって、隣の部屋に入っていった。最終電車まで二〇分あるかないかの短時間のうちに、彼はそのとき所有していたすべての絵をわたしの眼前に運んだ。その運びかたは狂気じみていたが、運ぶ方も見る方も大正気であった。彼が静物画にたどり着くまでの痛々しいほどの精神の軌跡がそこには刻まれていた。
■わたしと彼との付き合いはこうして始まった。とはいっても、この二〇年間のうちに会って話をしたのは三回きりである。二度目は彼が四年間滞在していたローマから一時帰国して、銀座の現代画廊で個展を開いた一九八七年、そして三回目が今年の五月十七日である。池袋の芳林堂書店前で待ち合わせたのだが何しろ六年ぶりのこと顔が分かるか少し心配などしたのだが、それはとんでもない杞憂であった。芳林堂書店の中から二〇分近くも遅れてあらわれた“輝いている”ひとが彼であった。自分の仕事をきちんとしつづけているひとがこんなにも輝いているのかと、わたしは改めて思った。
■六年前の個展で、彼の絵は“存在”がやさしく動きだした、“ある”という“有”がかすかに戯れの場へとうごめきはじめていた。彼の絵は根源の場を微動だにしないが、不断に変容し続けている。彼はいつもキャンバスに向かって闘い続けている画家である。
■今度彼に見せてもらった絵には、“革命”が起きていた。彼の絵は“存在”から“時間”へと飛躍していた。これは、六年前の“存在”が動き出して“時間”にたどり着いたのではない。おそらく彼のうちで何か途方もないことが起こったのだ。“時間”をキャンバス上に描き出すということは、描く対象に包まれかえされること、対象とともに生きることである。彼は今、ローマで“時”とひそやかな関係をとりむすんでいる。それは壮絶な孤独との闘いでもあるが、同時に彼はその至福の時をだれよりも享受していることもたしかである。
■彼の名は神尾和由。氏の快諾を得て本号より「江古田文学」の表紙を飾れることになった。光栄である。文学もまた、それにかかわるひとりひとりが壮絶なる内なる闘いを続けるほかはない。
■「不射の射」は「射の射」をきわめた者の境位。「不射」は「不射の射」をきわめた者のさらなる境位。画家は描き続け、作家は書き続ける現場を一歩も退くことは許されない。安易に悟って楽に座る事を自らきびしく戒めなければならない。

(一九九三年・七・二六)