清水正  情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載10)

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情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載10)

──または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様──

 清水正

 

 

 27号(平成7年2月)は特集「つげ義春山本陽子」。

つげ義春清水正企画、山本陽子は中村文昭企画である。他に小特集として「椎名麟三」を組んだ。

 「特集1 つげ義春」は「学生が読むつげ義春」のレポート26篇と近藤承神子「つげ義春全集「七つの大罪」」、赤見宙三「映画『ゲンセンカン主人』について」、小柳安夫「受け渡されたサングラス――謎とき『海辺の叙景』」、清水正つげ義春・『やもり』を読む」を掲載。

 「特集2 山本陽子」は坂井信夫・講演「文芸同人誌とその時代――1960~90年代――」、萩野豊「詩が生れるところ」、窪田尚「ひそみ、そのひそみ」、クリハラナミ「「あかり あかり」と、」、坂井信夫&中村文昭・対談「山本陽子と『あぽりあ』――詩人山本陽子のポエジーの場所をめぐって」を掲載。

 小特集「椎名麟三」は横尾和博「地下室での酒宴――椎名麟三ドストエーフスキイ」、下原敏彦「椎名麟三と蝦名熊夫――椎名麟三の謎をめぐって」、中山みづ江「椎名麟三と『悪霊』」を掲載。

 特集以外の評論は堤玲子「尾崎放哉、薄暮の句碑」、松本顕英「荒野のヴィジョネイル――ビートの周辺宇宙にみる芸術的衝動のヒミツ」、池田博「ダニエル・ダリュウを知ってますね」、柳澤睦郎「円窓五百噺と古文教室」、上田薫「落語の落ち」、中村文昭「無感動の書(Ⅱ)銀河鉄道の夜とともに」などを掲載。

 次に編集後記を引用する。

 《■つげ義春氏の漫画をはじめて読んだのは青林堂刊の「つげ義春作品集」(一九六九年四月)によってである。この本はつげ氏のサイン入りで、愛好家にとっては垂涎ものであるかもしれない。この本をわたしは貸本屋時代からのつげ漫画の大ファンである近藤承神子さんからいただいた。今から二十五、六年も前の話である。

■近藤さんとの出会いは〈ドストエフスキー〉を介してであったが、わたしと〈つげ義春〉との出会いは紛うかたなく近藤さんを介してであった。当時わたしはまだ二十歳を過ぎたばかりの学生で、約十歳年長の近藤さんは兄貴分よろしく、いろいろな愛読書を紹介してくれた。作家では坂口安吾、評論家では秋山駿、そして漫画家では滝田ゆう、それに大友克洋もデビュー当時から注目していていち早く紹介してくれたことを鮮明に記憶している。

■近藤さんの紹介の仕方は、四の五と言葉で説明するのではなく、現品支給方式である。批評や感想で読ませるのではなく、とにかく作品を手渡して、本人はただニコニコ笑っている。しかも、その手渡し方に少しの押しつけがましさもないので、気がついたら、その本がまるで自分が購入したかのように書棚におさまっている。

■いわばわたしは、近藤さんの現品支給という〈戦略〉によってつげ義春の〈ファン〉になった一人である。わたしは〈ファン〉というのは、〈研究者〉や〈評論家〉とはちがうから、その対象を批評するなどという、ある意味ではおこがましい行為をしないですむ、それはそれでなかなか快適な読者のあり方のひとつだなと思っていた。「古本と少女」「ほんやら洞のべんさん」「紅い花」「海辺の叙景」……これらつげ氏の傑作をこの二十五、六年の間に、何度繰り返し読んだか知れないが、それでも、これらの作品を批評しようなどという気持ちは微塵も起きなかった。

■「江古田文学」二十二号でつげ義春特集を組んだときも、わたしは現代の二十歳前後の学生たちが、つげ漫画をどのように受け止めるか、その点に最大の関心と興味があり、わたし自身はいわば〈無・批評〉の快適な立場を保持していた。

■ところが、つげ特集号の刊行直後に、近藤さんから、わたしのつげ論がないことが残念であったという旨の葉書をいただいた。これはわたしには全く意想外のことであった。が、わたしはこの葉書を一契機にして、つげ漫画に対して一ファンの席から一批評家の席へと移行したのかもしれない。

■正直なところを言えば、「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」に対してはかねがね批評意識をくすぐられていたのも事実であるが、それでも実際に批評のペンをとる気にはなれないでいたのである。が、ある朝とつぜん、無性につげ論が書きたくなった。わたしは去年の前半六カ月を費やして一気に1200枚にのぼるつげ論を書き下ろすことになった。

■わたしは対象とした作品に対しては批評家を全うしたが、前に記した「古本と少女」以下の作品に対しては依然として沈黙を守った。つげ義春氏の全作品に対して批評家を全うするなどというヤボな真似はしたくないという思いと、〈無・批評〉で作品に接することの喜びを残しておきたかったのである。

■〈学生が読むつげ義春〉に関して。つげ特集第一弾の時は、わたしはいっさいつげ漫画に関する講義をせず、学生には参考資料として「ねじ式」と「ゲンセンカン主人」のコピーを渡しただけであったが、今回は「チーコ」「やもり」などに関して詳細な解析を試みた上でつげ論を提出してもらうことにした。》

《■本号は、当初「つげ義春椎名麟三」特集を予定していたが、中村文昭氏の企画による〈山本陽子特集〉が大きくふくらんできたので急遽予定を変更して「つげ義春山本陽子」特集とした。山本陽子に関しては、八号、十四号に続く第三弾の特集になる。■本誌はこれからも、時代の表層的思潮に関係なく、根本的に問題とすべき作品に執拗にこだわっていくつもりである。

■最後にひとこと。地震が起きるたびに、なしくずし的に報道番組にさしかえられる。テレビ番組の制作者たちは、自分の“作品”をどのように思っているのでしょうか。緊急事態発生の折りには、いつでもさしかえてください、というのはオソルベキ寛容さである……。そのうち「〇〇文学」を購入して中身を見たら、すべて〇〇報道記事にさしかえられていた、などという事態にならないともかぎらない。(一九九五年一月二十五日)》