清水正  情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載9)

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情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載9)

──または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様──

 清水正

 

 

26号(平成6年10月)は清水正企画で特集1『海辺の光景』、特集2「宮沢賢治」を組んだ

安岡章太郎特集ではなく、彼の一作品「海辺の光景」特集としたのは、この作品を近現代日本文学史上稀なる傑作と評価したからである。構成は学生のレポートと依頼原稿からなる。吉崎透、宇尾房子、元橋一郎、吉澤昌、村上玄一、横尾和博、下原敏彦、赤見宙三、米津之彦の『海辺の光景』論を掲載した。

特集2「宮沢賢治」は中村文昭「無感動の書(Ⅰ)銀河鉄道の夜とともに」、清水正宮沢賢治・童話のエロス――『どんぐりと山猫』をめぐって」、赤田秀子「「函館港春夜光景」考――ワッサーマン幻想――」、平澤信一「「オツベルと象」あるいは二重身のモダニティ」、森下圭子「海を渡った賢治の子ども――賢治とラムステットの出会い」などを掲載。

 評論は柳澤睦郎「笑いのパターン」、上田薫「アランと『エチカ』」、堤玲子「萩原朔太郎“月に吠える”」を掲載。

 編集後記は落語に関して触れている。次に引用する。

 《■「さんざ浮世の苦労をなめつくし、すいも甘いも知りぬいた人間が聞くべきものなんです。それが落語というものなんですよ。」「噺てえものは、親の財産なんぞをたんまりもらって、ボーッとなんとなく育ってきたような人が聞いても、ほんとうの落語の面白好味というが、それがわかるもんじゃないんですよ。その意味からいえば、ほんのある一部の人が聞いて喜ぶべきものなんですね。世の中のウラのウラをえぐっていく芸なんですから……。」ここに引用したのは『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)に出てくる古今亭志ん生師の言葉である。これを読んで、わたしはすっかり志ん生師のファンになってしまった。

志ん生師の噺を聴いてファンになった人は多いであろうが、わたしはこの「志ん生半生記」にまいってしまった。さっそく本屋へ出かけて行って「お直し」のテープを買い、ウォークマンのカセットで聴くことにした。面白いの何のって、歩きながら笑いがこみあげてきて、おもわず吹き出してしまう。おかしな男が歩いているように想われるのもまずいので、ラーメン屋に入り、そこでゆっくり聴くことにした。ところが、そこでも笑いがこみあげてきて、何度も口を押さえてごまかさなければならなかった。

■今までテレビの演芸番組などで落語を聴いたことはあるが、寄席には一度も足を運んだことがない。そんな男が四十も半ばになって、志ん生師の本に出会い、師の落語を熱心に聴くようになった。》

 《■ところで、落語といえば、柳澤睦郎氏が第1部「落語とわたし」、第2部「創作落語」、第3部「表紙の破れた古いノート」の三部構成による『落語つれづれ草』(鳥影社)を七月に上梓された。第1部に収録された十篇のエッセイのうち八篇が本誌に連載されたものである。

■わたしは、氏のエッセイを生原稿と校正でも読んでいるが、今回一本にまとめられるにあたっては、またあらためてその全部を読む機会に恵まれた。氏のエッセイは肩に力が入っておらず、何回読んでも胃もたれすることがなく、読後さわやかな気分にひたれるのだが、本誌20号に発表された「好生鎮魂曲」だけは、それとは一味も二味もちがった重い印象を持った。氏の文章が重いわけではない。書かれた内容が重いのである。

■このエッセイは「若くして亡くなった三遊亭好生という落語家がおりました。名人円生の弟子で、語り口もよく似ていたので記憶に残っている方もおられると思います」ではじまり「ここに、彼の短い一生に、その一隅に通り合わせた一人として、思い出を書いて、好生の鎮魂曲といたします。行年45歳、合掌。」でおわる。師匠と弟子の人間関係、「好生聞こう会」の勉強会、真打ち昇進にからむ芸の評価問題、円生一門の落語協会脱退騒動、師匠と袂を分かち落語協会に残った好生、酩酊状態で著者に絶交を告げる好生、マンションから飛び降り自殺した好生……ここには一人の落語家の自死に至る壮絶な相克葛藤のドラマが淡々と語られている。

■柳澤氏のエッセイは何度読み返しても飽きることがなく、そのつど新鮮で衝撃的である。生の地獄を一度かいま見た者でなければ、生の重さを軽いタッチで描き出すことはできない。柳澤氏のいつもやさしく微笑しているその眼の奥には、おそろしいほど研すまされた批評の刃が隠されている。若くして逝った好生の、芸と格闘し、人間の関係に苦悶したその半生が、柳澤氏のペンによって鮮烈に浮彫りにされたことを、わたしは深く静かにかみしめたいと思っている。》

 《■志ん生師は先の著書で、円朝師匠が弟子たちに言って聞かせていた「恩を仇で返すということがあるけれども、この商売では逆に、仇を恩で返さなくちゃならない。仇をうけた人間に恩で返すんだ」という話を紹介し、その1頁後で「だから、この世界で生きぬくためには、一にも二にも辛抱ですナ。そして自分の腕をみがくこと、これ以外はないんです。上の者だって、みんなそうしてやって来たんだから、自分もそうしなればならないという堅い信念でもって、辛いことにも堪えしのんでゆく、それが一つの勉強になるわけですよ」と語っている。一つのことを極めた人の話は、ずしんと胸にひびいてくる。

志ん生師は落語の名人、柳澤氏は落語鑑賞の達人である。ヤボを承知の上で、粋人お二人の著書をあらためてお薦めしたいと思う。(一九九四年九月十三日)》