清水正  情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載8)

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情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載8)

──または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様──

 清水正

 

 

 25号(平成6年3月)は清水正・村上玄一・万波鮎の企画で特集「寺山修司」を組んだ。

 特集はわたしの教室からのレポート「学生が読む寺山修司」と依頼原稿から成る。主な寺山修司論を紹介する。安倍寧「寺山修司の疼きとつぶやき」、森山崇「あなたも寺山修司になれる」、長峯英子「寺山修司・最後のパリ公演」、小川太郎「寺山修司、虚構の影」、浅沼璞「嘘みたいな本当の話――短詩型〈寺山節〉考――」、須藤甚一郎寺山修司と路地」、横尾和博「「過ぎさったことは全部、虚構」か――寺山修司とその時代――」、下原敏彦「書を拾い 家へ戻ろう」、吉澤昌「寺山修司の肉声」、赤見宙三「寺山修司をめぐって」、古賀ミサ子「ロマンティックな武骨者――寺山修司賛歌なんだぞこれは一応――」、清水正赤ずきんちゃんは狼だった――寺山修司著『ぼくが狼だった頃』に寄せて――』、前田慎一郎「寺山、おまえに何がわかる」。

 創作は村上玄一「子供のいないお父さんが書いた夜の童話」。

 評論は堤玲子「太宰治(生まれてすみません)」、上田薫「アランの感情論」。

 詩は窪田尚「クリプトン、揺れ」、猪瀬明惠「咲散」、中村文昭「オルフェの告白」など。

 編集後記には寺山修司を特集した意図も経緯も何も記されていない。が、わたしにとっては忘れられない、感慨深い出会いが書かれている。その箇所だけを引用する。  《■一月二六日。池袋駅改札口を出て西武線へ向かう途中とつぜん後ろから肩をたたかれる。ふり返ると、そこに懐かしい顔があった。一九七五年に創刊し、四年後、七号をもって終刊にした同人誌「ドストエフスキー狂想曲」の元同人N君である。彼とは六年前に会ったきりで、その後、まったく音信不通であった。尤も、二、三年前にテレビでインタビューを受けていたのをぐうぜん眼にしたことがある。彼は大手学習塾の教務部長をつとめているのである。この日はN君と会うために池袋へ出かけて来たような気持になったので、近くの喫茶店に入り、一時間ばかり話をした。

■当時の同人たちはわたしを除いてすべて文芸学科の在学生であったが、卒業すると同時に〈書く〉方も卒業してしまったのか、それ以来、彼らが書き続けているという気配はない。学生時代に出会ったはずの〈文学〉は、今、彼らのうちでどのようにとらえられているのであろうか。当時学生だった同人たちも今年で四三才を筆頭に下も三八才となる。

■「鰹節と文学はかかなきゃ話にならない」「芸術家や文学者には死ぬまで引退はない」「書くという行為は、どこまでいっても孤独な作業である。だが決して孤立することではない」「書くとは、書き続けることだ。持続に堪える者こそ、よく生きたということである」「出会いとは生死を賭けた格闘である」「ひとの荷を持つ前に自分の荷をこそしっかりと持ち続けなければいけない」……覚えているだろうか。有言実行あるのみ。(一九九四年二月十二日)》。

 

 ドストエフスキー狂想曲」同人だった浜田章、小島良隆、灘玄界、南保雅紀、新岡昭彦――彼ら同人は二十代後半のわたしの渦巻くディオニュソス的狂想の世界に各の青春を駆け抜けた。生きていれば全員還暦を過ぎている。恐るべし、時の流れ。