清水正   情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載4)

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

 

 

 情念で綴る「江古田文学」クロニクル(連載4)

 ――または編集後記で回顧する第二次「江古田文学」(8号~28号)人間模様

 

 清水正

 

 18号(平成2年6月)は清水正企画で「宮沢賢治の現在」を特集した

 宮沢賢治論は田口昭典「宮沢賢治と私 宮沢賢治から学んだもの」、多田幸正「宮沢賢治と「宿習」」、内田收省「ほんたうのさいはひ みんなのさいはひ~宮沢賢治銀河鉄道の夜』から~」、清水正「『よだかの星』をめぐって 鷹もどきから夜の鷹へ向けて」(註・今回気づいたが鷹が雁となっていた。訂正しておく)、中村文昭「風の又三郎 摩訶不思議・子供の領分へ」など。中村文昭は「一教室からの報告A」で「水仙月の四日」の鳥瞰図を受講生に描かせ、8名の作画をとりあげている。「一教室からの報告B」では「水仙月の四日」の感想文を受講生に書かせ、3名の文章を選抜している。中村は「原則的に教室内での限られた時間内で仕事してもらった。(中略)批評眼の深さ、論理力、思想の有無も文章に大切だが、賢治童話にたいする素朴な思考も本当に大切なのである」と書いている。ほかに金在淑「やまなし(韓国語訳)」も掲載。

 

清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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 赤坂憲雄には「物語と異界」というタイトルで講演(文芸学科特別講座)してもらった。民俗学者折口信夫の「物語はもの(霊)の語りである」という説の紹介からはじめて、〈異人としての三郎〉〈少年という季節の終わり〉〈境界と異界〉〈物語の反復の構造〉〈『遠野物語』と賢治〉〈神隠し譚〉〈物語と異界〉へと話をすすめ、最後に「物語というのは異人とか異界とか、ある種の交通の所産である、というか、その、異人や異界と出会い交わる、そういう境界に発生してくるものであると考えます。(中略)生きられた世界のへりのところで、少年たち、或いは少女たちが、最も純化された形で異界とか異人に出会って、そこに物語が発生してくるというようなことをお話してみたわけです」とまとめた。

 

 講演後、赤坂は霊的なるものの身体への侵入など具体的に語った。フィールドワークをしていると知性や論理では解明できない摩訶不思議な現象に立ち会うこともままあるらしい。わたしは宮沢賢治は霊的なるものの恐るべき受信体と思っている。四十歳から五十歳までの十年間、わたしは毎日のように賢治の童話を批評し続け『宮沢賢治ドストエフスキー』(1989年 創樹社)をはじめとして単著・共著・編著合わせて30冊の著作を刊行した。生きてあることの悲しみと憤怒が批評の原動力だが、これは限りなく祈りに近い境地から湧出してくる。

 

 表紙絵は上條陽子。編集後記から引用する。

《■上條陽子さんの画集を見ていると鮮烈に女を感じる。これほどなまのむきみの女を晒け出してしまっていいのかと、せつないほどの哀しさとおびえさえ覚える。ひとを狂うほど烈しく求めながら、それでいて近づく者を厳しく情容赦なく拒んでいる。この壮絶な孤独な舞台で画家上條陽子の多くの分身たちが舞い踊る。これほど自在に関節をはずしてしまった画家は、おそらく、ぜったいひとには分かってもらえぬ、重い体験を抱えているにちがいない。

大野一雄氏の『御殿、空を飛ぶ。』を読んでいると、はっとするほど新鮮な、手垢のついていない言い回しに出会って、こちらの気持が洗われたようになる。実は上條陽子さんの文章も読む機会があったのだが、お二人の書かれたものに接して感じるのは、言葉のひとつひとつがもぎたてのレモンのような瑞々しさを、口の中へ入れると細胞の一つひとつがツブッツブッとはじけるような新鮮さを持っているということである。八十歳を過ぎて今なお現役の舞踏家であり続ける大野一雄氏、キャンバス上の舞姫上條陽子さん、お二人の体験に裏打ちされた“言葉”は読む者の魂にじかに語りかけてくる。時代や世間とつるまず孤高な姿勢を崩さず、自分自身との真摯な対話を持続し得た者だけが、深く他者の魂を震撼させることができる。記された言葉に「こわさ」を感じるようなことは滅多にあるものではない。本物に出会うということは、いつも何かしらうきうきした気分のうちに、畏敬の念を覚えるものである。》

 

 19号(平成3年1月)は万波鮎の企画による特集「連句の現在」

当初、〈犯罪と文学〉特集を考えていたが、万波鮎の連句に対する情熱に応えて急遽「連句の現在」に変更した。わたしは連句に関してはずぶの素人なので、内容・執筆陣などすべてを万波鮎に任せた。執筆陣には佐々木基一、眞鍋呉夫、野田真吉三好豊一郎、那珂太郎、小沢信男、宮内豊、加島祥造、佐々木孝、浅沼璞、滝田遊耳、須藤甚一郎、原口修、下山光悦楽――豪華な顔ぶれが勢ぞろい、豊かで刺激的な誌面作りとなった。担当した万波鮎の人脈の広さ深さを改めて感じさせた。  評論は坂井信夫「『死の棘』論」、清水正「『悪霊』とその周辺」、中村文昭「宮沢賢治の童話」。

 

 講演は河林満「私小説と創作体験――どのようにして私は作家となったか――」

河林は講演の初めに四歳の時に三十歳の母が死んだことを語る。「死んだ母親はどこへ行ったのか」河林は小説家としての自身の大きなテーマに触れる。彼は日本における私小説作家を概略的に紹介した後、小説を書くきっかけが〈私小説的な感情〉にあったことを打ち明ける。続いて彼が衝撃を受けた作品、北條民雄の「いのちの初夜」、原民喜の「夏の花」、耕治人の「そうかもしれない」、梶井基次郎の「路上」、安岡章太郎の「海辺の光景」、吉行淳之介の「驟雨」などについてその核心部に触れながら話をすすめる。

 後半、河林は二十二歳で出した詩集『風景その呪縛』について、三島由紀夫の「風景には、黙った肉体のようなものがある」を引用し「人間見てるより風景見てる方がいいっていう感じが私にはあります」と語る。

 突然、自作の『海辺のひかり』について語り出す。三十歳で死んで土葬された母親の墓を改葬のために掘り起こす場面を彼は実に鮮やかにリアルに語り描いた。柩は三十年前の〈真新しさ〉のまま水に浸かっており、ぬるぬるする水苔が表面にはり付いている。蓋をバールでこじ開けると、柩の中には〈真っ黒い水〉が溜まっていて、髑髏がぽつんと浮いて漂っている。四歳の時からずっと「母親に会いたい」という切ない願望は、ここに実現する。「それは物理的な意味での出会いでしかありませんけれども、でもそこにいるんだ、ということは、そこに会えた、ということは、それから先、その人を捜さなくてもいいってことですよね。そんな気持ちに、ま、なりました。で、まあ、ほっとした、っていうか。そのへんの思いをここに書いたわけです」。『海辺のひかり』を読みたくなる語り口だった。

 

 二十八年ぶりに河林の講演記録を読み直し、現在の彼を知ろうとタブレットで検索すると、平成二十八年、五十七歳、脳溢血で亡くなっていた。ご冥福を祈る。