横尾和博 大宇宙を彷徨う(2)

 

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

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大宇宙を彷徨う(2)

横尾和博

 

清水氏との思い出
 
私は十代のころ『罪と罰』を読んでドストエフスキーに魂 をわしづかみにされてしまった。以後ドストエフスキーやほ かのロシア文学を読み漁る日々は、雑事をこなす給与生活の なかで別世界に入る楽しみであった。
 
また若い時代は、古本屋めぐりは欠かすことのできない生 活の一部であった。ある日古書店の一角で、『停止した分裂 者の覚書―ドストエフスキー体験』、そして『ドストエフス キー狂想曲』と名づけられた本に出合った。
 
そのときの印象は、ドストエフスキーに魂をつかまれた人が、ほかにもいるんだ、という素朴な感動だった。その表紙 や中身を見ると記憶が鮮明に蘇る。
 
私が清水氏と初めてあったのは、いまから三十年前のこ ろ、一九八〇年代の終わりだった。「ドストエーフスキイの 会」の会員で画家の小山田チカエさんがきっかけを作ってく れたのだ。JR中央線の三鷹駅北口の近くに「アオ」というバーが あった。ある日小山田さんから電話があり、「アオ」に「ド ストエーフスキイの会」の主要メンバーが来るので飲みにき てほしい、との誘いがあった。清水氏も来るとのことであっ た。給与生活者の私は三鷹駅が通勤途中の駅で、気軽に承諾 して宴を楽しみにしていた。約束の日、仕事帰りに「アオ」 に行くと、小山田さんと清水氏以外に誰もいない。結局最後 まで三人で、ドストエフスキーのことを話した。話した、と いっても清水氏とは初対面だし、彼がドストエフスキーにつ いて多くのことを語っていたのだが。そのとき著書もいただ いた。
 
そして清水氏は私に出版を前提にした「書くこと」を勧め てくれた。
 
それが私の鬱屈していた時期に大きな励みとなった。ただ 書き溜めておくのはだめで、作品を世に出すことの重要性に 気づいたのである。以来、清水氏との交流が始まった。
 
そのころの清水氏は、ドストエフスキー論を数多く手がけ、日大芸術学部の先生としても活躍中であった。当時の 『江古田文学』に寄せられた学生の感想のなかにあった、「清 水先生の授業はまるで占い小屋」との記述がいまでも忘れら れない。
 
その学生もいまは五十代の働き盛りになっているだろう。 ドストエフスキーは読んでいるのだろうか。
(よこおかずひろ 文芸評論家)