「ドストエフスキー曼陀羅」展示会を観た大学院生の感想

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ドストエフスキー曼陀羅
展示会場に設置された巨大な「1865年のサンクト・ペテルブルクの絵画」を前に記念撮影。


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ドストエフスキー曼陀羅」展示会を観た大学院生の感想を紹介します。


わたしはまだ、世界の仕組みを知るには青すぎる

野中咲希

 会場には、大学院山下聖美ゼミの面々と訪れた。まず、会場に足を踏み入れると書籍と写真パネルの多さに圧倒された。わたしにとっては文字の世界、現実としてよりもフィクションとして感じていた、作品が描かれた当時のロシアの美しい街並み。ずらっと並ぶ、貴重な本の数々。それらは、ドストエフスキーとフィクションの国のように感じていたロシアを、実在のものとしてはっきりと感じさせてくれた。

 受付を背にして右手には、清水正先生の著書が並び、年表が張り出されている。展示場所の一角には、ドストエフスキーが生きた時代の品々がセンス良く展示されていた。わたしは、旅行先で祈る人を見るのがとてつもなく好きだ。展示品の中にはイコンもあり、遠い昔のだれかが、ロシアで祈っていたのかと思うとなぜだか気が遠くなった。

 わたしを含め、学生たちは各々に展示を見て回る。それぞれに自分の心に刺さった展示があるようで、小声で感想を言い合いながら、時折本を手に取ったり、パネルの文字を追ったりする。

 わたしが一番、感嘆したのは清水先生の年表だ。一九四九年から、現在に至るまでの清水先生の業績がわかりやすくまとめられている。わたしは現在、二十四歳。清水先生はわたしの年齢の時に何をしていたのかしら、と考え見てみると、すでに書籍を出している。『ドストエフスキー体験記述―――狂気と正気の狭間で―――』だ。その翌年にベトナム戦争終結を迎え、外の世界はひとつのわかりやすい区切りを迎える。その時の清水先生の心の内は、どんなものだったのだろう。戦争よりも災害よりも、何よりも激しい己が論ずる対象との闘いが起こっていたのかもしれない。そして、その闘いがいまだに続いているのだ。恥ずかしながら、わたしの内側でそんな闘いが起こったのならば正気ではいられないかもしれない。

 また、十三〜十四歳の頃の日記からの抜粋もある。「万物はすべてくりかえし」というタイトルだ。タイトルだけでもインパクトがすごい。キャッチー。「アインシュタイン相対性理論を一般向けに書いた本の影響を受け、時間は繰り返すという思いに至った。この時からわたしは必然者となった」から始まり、そこには若干十四歳の清水少年が、何を読み、何を感じたのか書かれている。

 アインシュタインを読み、十七歳にして『地下生活者の手記』に出会った清水先生。その出会いから、今までドストエフスキーと向かいあっているなんて。わたしが十四歳であったときには、野山を駆けずり回り、文章を書くのは好きであったが、何かを深く考えることをしなかった。大人になればすべての理由がわかると考えていたし、わからないものはそうあるだけだと感じていたのだ。この時期からもうすでに、清水先生は清水先生であったのだ。

 十三〜十四歳の覧、最後には「気まぐれもまた、必然の網の目から抜け出すことができないのだとすれば、要するにすべては決定されているということになる」とある。すべてが必然であるのだ。必然であることは、時に優しく残酷だ。助けにも諦めにもなる。わたしはまだ、この境地に達するには怖い。わたしは、わたしの意思で清水先生のゼミに行き、この文章を拙いながらも書いているのだが、すべてが決定されていたと考えると、ロマンチックでありながらもぞっとする。わたしの、憧れや驚きや尊敬の念は、わたしだけのものだ。わたしはまだ、世界の仕組みを知るには青すぎる。十代の先生には、世界の形はどんな形であったのだろう。

 同じように、清水先生が読み込んだ書籍にも驚いた。いたるところに付箋が貼られ、細やかな字でびっちりと書かれている。わたしは、こんなにも使い込まれた本というものを見たことがなかった。わたしの使用している本たちに貼られた付箋や、書き込まれた文字の数々のなんと少ないことか。もとより、超えられると思ってはいないが、年表と書籍、この二つを見て、改めて手本としたい人の存在が大きすぎるほどだと感じた。

 大学に入るころまでわたしは、誰かを尊敬する気持ちが薄かった。人にはそれぞれの良さと悪さがあり、しょせん生き物であるのだから、尊い一瞬があったとしても、あやふやで持続性がないものだと勝手に思い込んでいたからだ。思春期特有の、誰も信じないような心。もちろん、すごいと思う人はいたし、感謝している人もいた。しかし、世界の中心は絶対的にわたしで、そこから全人類に向かってフラットな線が伸びていた。なんて恥ずかしい十代。

 わたしの入学のきっかけは、山下先生であり、はじめて本当の意味で憧れ、純粋にこの人のようになりたいと感じたひとであった。その師である清水先生。すごくないわけがない。大学院生になった今も、何度も強い衝撃を受けている。その清水先生の使用した書籍。「お前は何をやっていたんだ」と、言われたような気がした。わたしも、ひとつのことに真摯に向き合い批評できるような人になりたい。いつか絶対。