山崎行太郎・清水正と私と『ドストエフスキー論全集』




https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

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新刊本の紹介
清水正ドストエフスキー論全集』第10巻の栞原稿を紹介します。今回は文芸評論家の山崎行太郎氏の文章を三回にわたって紹介します。
清水正と私と『ドストエフスキー論全集』

山崎行太郎
 
(1)
 
清水正教授の『ドストエフスキー論全集』の刊行を勧めたの
は私である。私は、ドストエフスキー研究者界隈で、清水正
授の膨大で、緻密な「ドストエフスキー研究」という輝かしい
業績が、不当に軽視され、黙殺されているように感じたからで
ある。実際は、そんなに軽視され無視されていたわけではない
かもしれないが、少なくとも私は、そう感じていた。だから、
清水正ドストエフスキー論」を集めた『ドストエフスキー
論全集』のようなものを刊行し、ドストエフスキー研究者界隈
に、「これでも無視するのか」と宣戦布告するべきである、と。
その『ドストエフスキー論全集』も、いつのまにか完結が近づ
いている。今や、「清水正を知らずしてドストエフスキーを語
るなかれ」ということが常識の時代が来たと言っていい。清水
正ほど、若い頃からドストエフスキーを熟読し続け、論じ続け
た人を私は知らない。質においても量においても、ドストエフ
スキー研究やドストエフスキー論の領域で、清水正に太刀打ち
できる者はいない。私が愛読し、畏怖している小林秀雄さえ、
ドストエフスキーということなると、やはり見劣りする。他は
推して知るべし。
 
(2)
 
清水正教授より私は、二歳か三歳年長である。しかし、私は、
大学生時代、まだ、何事も成し得ていない頃、つまり単なる
凡庸な学生でしかなかった頃、池袋駅西口にあった行きつけ
の某書店で、清水正の「ドストエフスキー論」(『ドストエフス
キー体験』)の「粗末な本」を書棚で見つけ、立ち読みしたこと
があった。実は、私もドストエフスキーに興味があり、よく読ん
でいたから、その種の本や文章には敏感だったのである。しかし
私は、後書きや経歴を覗いて、すぐにその「粗末な本」を、書
棚に戻したことを覚えている。何故、書棚に、すぐ戻したの
か?
 
私は、自分より年下の学生が、しかも日大芸術学部の学
生が、「ドストエフスキー論」を書き、それを、粗末な装丁と
はいえ、出版して、しかもその本が大きな書店の書棚に並ん
でいるという現実を、驚きと怒りと自己嫌悪を感じ、受け入
れがたかったからである。つまり素直に読めなかったという
のが、実状である。だから、内容も覚えていない。しかし、清
水正という名前は、強烈な記憶として残った。私は、その
時、清水正という名前を覚えた。ドストエフスキー清水正

 
それから、大分、経ってから、私は、清水正教授と交流を持
つようになった。何が、私と清水正を結びつけたのか。もちろ
ドストエフスキーである。ドストエフスキー以外にない。
 
現在では、清水正は、私が頻繁に交遊する唯一の文学者であ
る。毎週、金曜日には、江古田で、「金曜会」と名付けた飲み
会兼、芸術思想研究会(?)を続けている。清水正は、現在も、
ビールやホッピーを飲みながら、飽くことなくドストエフスキー
を語り続けている。私は、いつも文学的、思想的刺激を受け、
それが、私の文芸評論の栄養になっていることは間違いない。
 
私は、ロシアのベテルブルグにも、ベトナムホーチミン
ダラットにも、またインドネシア、中国の大連や旅順にも、そ
して台湾にも…、清水正に誘われて、一緒に旅行している。清
水正がいなければ、私は、こんなに頻繁に海外旅行などしてい
なかっただろう。私は、「人生の後半は、畏友・清水正ととも
に過ごした」ということになると思う。