加藤澪 我孫子の魔法使い

 

f:id:shimizumasashi:20181123163908j:plain

清水正ドストエフスキー論執筆50周年」の挨拶(2018-11-23 日芸芸術資料館)

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します

 

我孫子の魔法使い
加藤澪

 

私は毎年梅を漬ける。シロップや梅酒にしたら美味しいで すよ、と先生に話してじゃあ梅酒を漬けたら持ってきてくれ と言われたのは一体いつだったろうか。その年の初夏に梅酒 を漬けてガラス瓶をえっちらおっちら江古田の研究室に運ん だら、「本当に持ってきてくれたのか」と驚きながら破顔さ れたのがなつかしい。
 
梅と氷砂糖と酒が化学反応を起こし、琥珀色の液体になる のはまるで魔法のようだ。しかし、私は他でもない江古田の 教室で本当に魔法を体験したことがある。
「君は、ナスターシヤだね」
 
それは『白痴』を論じる授業で清水先生が私に投げかけた 言葉である。自分を客観的に省みるのは難しい。ましてドストエフスキーだ。その登場人物と自分を重ねる事は中々難題 であった。先生は続けた、「ではナスターシヤの台詞を読ん でみなさい」。
 
先生の授業スタイルの一つに、物語の音読がある。ただの 声出しではない、台詞ひとつひとつに感情を込め演技をしろ と言うのだ。もちろん演劇学科だけではない。文芸学科をは じめ全ての学生が演者になるのだ。
 
演技に自信のない者はまず嫌そうな顔をする。生まれて一 度も演技などした事はないと顔を蒼くしてうつむいたりす る。また、演技に自信のある者はまさか文芸の授業で見せ場 が来るとは予想もしておらず紅潮した顔で前に出てくる。そ して不思議と誰もが台詞を口に出すことによって物語の本質 に触れるのだ。

 私も先生の授業で多くの登場人物になった。赤いダァリ ヤ、白木葉子、ソーニャ、アグラーヤ、そしてナスターシヤ。 ナスターシヤは言う。「助けてちょうだい!   つれて逃げ て!   どこでもいい、今すぐ!」これは彼女の最後の台詞で ある。読んだ時に私はナスターシヤがわからなかった。いっ たいどこへ逃げたいのか、彼女は誰に救われたかったのか。 しかし、先生は何度でも、もっと激しく、荒れ狂う気持ちで と言う。うながされもう一度彼女の心になりきって感情をの せた時、ナスターシヤの無限の虚無を知ったのだ。ムイシュ キンの手を取る事も、ラゴージンに心を託す事も出来なかっ たナスターシヤの救済への叫び。私はそんな彼女の生涯が空 しく悲しく愛しく感じた。だから先生は私をナスターシヤだ と言ったのだろうか 。

 

  先生の授業は魔法である。紐解けない物語はないのだと教 えてくれる。大魔法使いである先生は物語の行間にまで目を こらし指先ひとつでそこに隠された世界を引っ張り出す。文 学の授業だと思ってやってきた学生はまさか魔法学だったと は思わずいつの間にか物語の神髄を知るのだ。
 
この大学に座す清水先生というお人は、教授であり、研究 者であり、名演出家であり、大魔法使いであり、そして読 者であり書き手である。私は先生に「本当は何者なんです か?」と問いたい。きっと返ってくる答えはまだ誰も知らな い先生の顔なのだろう。
 
(かとう・みお    食と紀行と柴犬をみつめるフリーライター