齋藤真由香 私の恩師

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

私の恩師

齋藤真由香

 

ドストエフスキーの小説は、私にとって愛すべき地獄だっ た。人間の生活と、生命と、精神とが、生々しくも奇妙に調 和して、現実と非現実を同時に突きつけてくる。その読書体 験は苦しかった。苦しいが、癖になった。なったので、私は 彼の作品を、幾度と無く読み返している。しかし悲しいこ とに、この地獄を、こんなにも楽しい地獄を、誰かと共有 し、語り合ったことはあまり無い。相手に恵まれなかったと いうわけではなかった。大学院にまで進めば、流石にドスト エフスキーの作品をひとつも読んだことが無いだなんて頓馬 には、そうそうお目にかからない。それでもどうして彼らと 話をしなかったかと言えば、彼らにとってドストエフスキー は身近でなかったからだ。こんなことを言っては怒られてし まうかもしれないが、私は小難しい退屈な話はしたくなかっ
た。極めてラフに、くだらない恋愛の話をするかのような心 持ちで、『罪と罰』の話がしたかったし、『白痴』の話がした かった。その相手として、彼らは適さなかったのだ。
 
そんな私にとって、大学院における清水先生の授業はほと んど楽園だったと言って良い。 「どんな男が好きだ?」
 
こんな質問を皮切りに、ドストエフスキーの小説に登場す る人物について、ざっくばらんに会話を交した。先生からす れば、レベルの合わない小娘と、それでもなんとか対話をし ようという苦肉の策だったのかもしれないし、もっと高度な 話がしたくって退屈されていたかもしれないが、私はどうに も、楽しくて仕方なかった。
「ずっとロージャ一筋だったんですけど、最近はね、ラズミーヒンが好きなんですよ」 「あいつはまごうことなきクズ男だろう」 「それでも格好いいですよ」 「お前は顔さえ良ければなんでも良いタイプだな」
 
そんなことを言われながらケラケラ笑って、ラズミーヒン という『危険な男』の魅力について後輩の女の子に同意を求 めて、退けられて、不貞腐れて、すると大体先生が、関連づ けた話を引っ張ってらして、話をいつの間にか、授業の本筋 まで戻している。退屈なんてどこにもなかった。とにかく楽 しかった。私の姿勢は軽薄と取られても仕方のないものだっ たし、いまとなっては、当時の私は大学院生としては不適格 だったように思う。甘やかされていたし、甘えきっていて、 幸福だった。
 
梅雨が終って、夏がきたので、今年もまた、『罪と罰』を 読んでいる。今回私は初めて、スヴィドリガイロフを想って 泣いた。いま好きな男を訊かれたら、スヴィドリガイロフだ と答えるだろう。先生に、そんな話がしたいと、仕事の隙間 に、江古田へ意識を飛ばす。先生が江古田から居なくなられ たら、私が学生生活において一身に浴びた幸福を、この先の 学生たちはどこで享受するんだろう。私は後輩思いな性質で はないので、同情もそこそこに、優越感に浸ってしまう。私 の恩師は最高だったし、私の学生生活は、とても楽しかった ぞ、と。

(さいとう・まゆか  新宿の不良編集)