入倉直幹 知の巨人と私

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

 知の巨人と私
入倉直幹

 

清水正先生とはじめてお話ししたのは第十回江古田文学賞 の受賞パーティ、私が大学二年生の冬で、江古田校舎の食堂 だった。もちろん、それまで文芸入門講座や友人の付き添い で聴講したマンガ論など講義を受ける機会はあったけれど、 面と向かって言葉を交わすことはなく、ドストエフスキーと 苛烈に向き合い続けているイメージだった。その当時、私は サークル活動に夢中になり、アルバイトに精を出し、友人と 夜通し酒を飲み、思い出したように小説を書いてはなんとな く成長した気になってみたり、とにかく、ごくごくありふれ た大学生になっていたんだった。
 
そういうふうにのんべんだらりと暮らしていると、師事し ていた山下聖美先生から「江古田文学賞の授賞式があるから おいでよ」と誘っていただき、ふわふわとした気持ちのまま清水先生と同席することになった。
 
清水先生は教室の後方から眺めているよりもずっと迫力が あり、存在感があり、圧倒的だった。それから山下先生がい くつか私の紹介をしてくれたような気がするけれど、ほとん ど断片的にしか覚えていない。緊張して肩をすぼめていたこ と、眼鏡の奥の鋭いまなざし、それから「キミは十年後なに をしているんだ?」の問いかけ、小説を書いていたいですと 弱々しい返事、「願望を訊いているんじゃない。なにをして いるかを訊いてるんだ」との言葉……他の詳細は忘れてし まっても、先生からの言葉はあの日から何度も何度もなぞ り、そのたびに恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。小説を 書きたくて入学してきたはずなのに将来を言い切る自信さえ なかったこと、同級生が受賞している式で何の感情も沸き起こらずにへらへらしていたこと、きっとそれらを見透かされ ていたこと。
 
それから進学した大学院では清水先生に師事し、ドストエ フスキー、ひいては清水先生と向き合う二年間で、精一杯 やったけれどうまくできた手応えはつかめずじまいだった。 ただひとつ、色の観点から『白痴』について評論を書いたと き、とても褒めていただいたことは未だにはっきりと思い出 せる。その夜、飲みに連れていっていただいたとき、院を修 了したあとのことを訊かれて、きっと書いています、と答え た。先生は私を小突くフリをしながら「きっとってなんだ、 きっとって」と目を細めてくださった。清水先生とはじめて お話ししてからもうすぐ十年になります。その瞬間も私は書 き続けています。
(いりくら・なおき   ブックデザイナー)