山崎行太郎著『ネット右翼亡国論』に寄せて 

清水正が薦める動画「ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ」

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

吉乃黄櫻さんのブログの清水正の著作に関する記事、ぜひご覧ください。
https://plaza.rakuten.co.jp/sealofc/13089/

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山崎行太郎著『ネット右翼亡国論』に寄せて。
            

下原敏彦

8月はじめ、清水正教授から厚い新刊書が届いた。『清水正宮沢賢治論全集 第2巻』である。難病を押しての出版にお礼かたがた電話した。その折り、山崎行太郎氏が『ネット右翼亡国論』(春吉書房2017.8.15)を刊行されたことを知った。「おもしろかった、すぐに完読した」清水教授は、既に読まれていて感想を述べられた。
ネット右翼とは何か !?  耳慣れない言葉に戸惑った。私は、パソコンは使うが、ツィッターやブログは、やらない。ネット発信の政治や思想活動にも関心はない。そんなわけで「ネット右翼」と聞いても、すぐには理解できなかった。が、刊行を祝って、駅近くにある丸善で本書を手に入れた。とにかく読んでみよう。
はじめ帯文が目に入った。作家・佐藤優が「日本の現在を深く知るための必読書である」と推薦している。副題に「桜井誠廣松渉佐藤優の接点」とある。佐藤優は流行作家でよく目にする。が、後の二人は、社会情勢に疎いのと近頃、政治・思想関係の評論書をほとんど読んでいないせいもあってどんな人たちか、よくは知らなかった。
山崎氏のHP「毒蛇山荘」が頭に浮かんだ。辛らつな批評が裁判沙汰になることもある、と聞く。過激な政治議論や思想論争を想像して逡巡した。
しかし、読んでみると、案外、読みやすかった。ドストエフスキーについて清水教授との対談も収録されていて、教授が評したように面白く読めた。二人のこともわかった。
本書は、現在日本の保守本流の人たちを批判する評論書といえる。が、同時に評論家・山崎行太郎とは何かについて語った自伝の書でもある。
本書の序文を飾る附論(1)が、それをよく表している。『「亡くなった兄の原理」こそ、我が「存在論」の原点である。――亡き我が兄・仏淵浩を追悼する』兄の死を悼む短い追悼だが万感の思いが伝わってくる。ここに批評家・山崎行太郎の全人生の元がある。
当時、山崎氏が兄のことで帰省されていることは、知っていた。帰京されたとき、葬儀の様子を、直接、聞いたような気がする。が、「小さいときから父親のような存在」とは知らず、その深い悲しみを忖度できなかった。お詫びするとともに改めて黙祷を捧げたい。
批評家・山崎行太郎の信条とは何か。清水教授が主催する飲み会「金曜会」で、ときどき話題になる。そんなとき氏は、薩摩隼人らしからぬソフトな語り口で皆をけむに巻いた。推測するに、批評姿勢は、常に勝ち馬にのらない。そこにあるようだ。
例えば「それでも小沢一郎を推す」とか、「あくまで小保方さんを擁護する」とかである。社会が、世間がそうなら、私は、反対の立場からこう弁護します。そう言ってウフフと忍び笑いを漏らす。そうした時の氏は、ときには滑稽に、ときには頼もしくみえた。凋落する者たちの擁護。もの静かな微笑みと温厚な話し方で、あくまでも弁護するのだ。そこに山崎行太郎の批評美学をみる。(それは常に敗者の側に味方した大西郷の信念でもあるが)
去りゆくものを応援する美学。そんな評論家人生には、逸話も多い。訴訟を起こされ、埼玉県警で調書をとられた時、別れ際、担当の刑事から「こんどは、こんな場所ではなく、居酒屋で会いたいですね」と言われたという。
この話にドストエフスキー作品『悪霊』のモデルとなったネチャーエフ(1847-1882)を思い出した。1872年逃亡先のスイスで逮捕された革命家はペトロバヴロフスク要塞監獄に収監された。が、なんと多数の看守を取り込み脱出を計画した。逃亡は未遂におわったが彼には、話術や策謀以外に、人を引き付ける魅力があったようだ。
本書は、多くの亡国論、存在論を発信している。「ネット右翼A」「ネット右翼B」そして「ネットの愛国」など。が、私が真に理解できたのは、二つの発信である。一つは、前述の山崎氏の生い立ち秘話。もう一つは、氏のドストエフスキー体験である。
ネット無知の私とネットプロの山崎氏だが、これまで共通する話題は一つあった。児童文学作家で鹿児島県立図書館長の椋鳩十(1905-1987)は、私の故郷伊那谷出身である。「鹿児島で唯一の文学者なんですよ」私が伊那谷出身と知って氏は、自虐的に感激された。私と氏を繋ぐものは、他になかった。ところが、今回本書で認識を新たにしたのは、なんと氏もまたドストエフスキーの人であったということだ。薩摩半島の寒村の家で生まれ育った兄と弟。「この兄がなければ現在の私はない」との追悼は、ドストエフスキーと兄ミハイルの兄弟愛を感じさせる。文学への道標となったやさしい母の愛は、ドストエフスキーの母マリヤを彷彿させる。そして氏に哲学を開眼させた兄嫁の深い教養は、ゾシマ長老を想像させる。
評論家・山崎行太郎は、旧家の期待と一族の希望を一身に背負って一人ドストエフスキー街道をひた走ってきたのだ。清水教授は17歳のときから一人孤独のなかで読みつづけてきた。ちなみに私は、ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」に参加して歩んできた。共に50年になる。三者三様のドストエフスキー体験に不思議な因縁を感じる。
氏は、自身のドストエフスキー体験を本書でこう述べている。「大江の次に椎名麟三という作家も読むようになった」そして「それでドストエフスキーを読み始めたわけですが」「片つ端から読んだんですが/僕が真剣に読んだのは『地下室の手記』『罪と罰』『白痴』で/この三作を読んだだけで、ドストエフスキーに完全に参りましたね」
このような氏のドストエフスキー体験告白は、私が知る限り、(どこかで話しているかもしれないが)恐らく本書がはじめてではないだろうか。その意味において本書は、批評家・山崎行太郎ドストエフスキー論になっている。
このように理解し解釈すれば、「ネット右翼」という言葉も耳慣れてくる。ドストエフスキーもまた「雑誌右翼」と呼ばれるにふさわしい土着性右翼の人だった。ドストエフスキーが『作家の日記』で展開する批評、政治、思想、民族論争は、当時に留まらない。21世紀の現在の問題として今も世界を揺るがせている。
とまれ、文芸評論家・山崎行太郎は、本書においてネット社会へ警鐘を鳴らしながらも、新しい時代を模索する希望を発信している。老いてゆく団塊世代にあって、一人勇敢にネット社会に挑んでいる。古希世代の旗手として挑戦をつづけている氏にエールを送りたい。
いつまでも消えゆく者の代表として活躍されんことを祈ります。改めてご出版、おめでとうございます。

本書は、多くの雑誌に掲載された氏のエッセイ、評論が大半だが、それらのなかで。目を引いたのは、『琉球新聞』に載せた記事「『沖縄ヘイト』の底流にあるもの」だった。ヘイトスピーチは、「そんなに単純なものだろうか」との問いに、ある出来事を思い出した。
もう30年近く前になる。たしかソウルオリンピックが開催された年だったかと思う。毎朝、総武線快速で東京に出勤している知り合いの中年女性が、最近、腹の立つことがある、と、訴えた。ラッシュアワーでごった返す駅ホームに横暴な高校生がいるという。座席確保のため、どこも長蛇の列だったが、一か所だけ、数人の高校生が列を乱して陣取っているところがあった。彼らは、遅れてきた先輩の席を確保するために陣取っていた。始発のドアが開くと、後輩たちはわれを争って飛び込んで行って車両の一角を占拠した。あまりのマナーの悪さに「どこの高校」と聞いても、ただへらへら笑っているだけだった。彼女は、腹の虫が治まらず、新聞社に投書した。暫くして社会部の記者から電話があった。そのことを記事にしたというのだ。「横暴な高校生、通勤客と争う」そんな見出しだった。それだけだった。傍若無人な席取りは続いた。彼女は、義憤に駆られ駅長室に訴えた。ところが駅長は、先刻承知とばかりにニヤついて「彼らは朝鮮なんですよ」と言った。予期せぬ答えに彼女は唖然として、思わず「それがどうかしたんですか」と、聞き返した。駅長は、困った顔で失笑するばかりだった。大新聞も、JRも高校生たちも声なきヘイトスピーチ合戦をホームで繰り広げていたのだ。それから暫くして、高校生たちは去っていった。中年女性に騒がれたことが理由のようだった。思えば問題解決の道は情報公開にあったようだ。