山崎行太郎さんが『ネット右翼亡国論』を刊行した。



本日、「ドストエフスキー曼陀羅」8号用の原稿データ「ドストエフスキー罪と罰』再読」を印刷屋に送る。大学の研究室で「Д文学通信」1418号作成。


山崎行太郎さんが『ネット右翼亡国論』を刊行した。在特会・元会長として知られる「日本第一党」党首・桜井誠氏を取り上げている。桜井誠氏が都知事選に出馬した際には、新聞・テレビのマスコミは徹底的に無視しつづけた。今日の政治家の発言はまったく信用ならない。命がけの政治理念など微塵もない。桜井誠氏はここ十年あまりの活動において自らの政治理念を貫いている。やがて彼の主張や確固たる政治理念は日本人の多くに支持されていくだろう。山崎さんは桜井誠氏を存在論ネット右翼の騎手として高く評価している。とにかく今日の政治家たちのあまりの無責任さにはほとほとあきれるが、ネット上で自らの信念を発信しているものは桜井誠氏以外にも何人かいる。わたしは彼らの発言に謙虚に耳を傾けている。彼らは<敵>とみなす者たちにたいして容赦のない罵詈雑言を投げつけているが、彼らのこういった言葉も、わたしはドストエフスキー文学におけるグロテスクなカーニバル空間に飛び交う言葉群としてとらえ、面白く拝聴している。
 山崎さんのブログやフェイスブックでの政治、社会に対する発言活動は、ドストエフスキーが『作家の日記』で書き続けた社会時評に通じるものがある。わたしはもっぱらドストエフスキーの文学作品を批評し続けているが、山崎さんの近年の活動は政治、社会に関して積極的に取り組んでいる。が、山崎さんの発言は文学の深淵な世界と通底している。今回の著書でも椎名麟三、秋山駿、ドストエフスキーなどが取り上げられている。第二部は山崎さんの文学論をまとめたものともいえる。わたしが十年ほど前に鹿児島の毒蛇山荘を訪ねた折に対談した「現在進行形のドストエフスキー」も収録されている。
本書は「ネット右翼」の表層を文学の深層領域に引き入れて論じられた著作ともいえる。一読して、わたしはこの本は「ネット右翼興国論」にもなっていると思った。公平のコの字も体現していないマスコミに期待はまったくできない。ネットには様々な情報が発信されていて、いったい何が重要なのか判断がきわめて困難な状況にあるのも確かだが、マスコミよりはましだという思いがする。
 いずれにしても本書は一気に読める面白い、刺激的な本であった。