清水正の『浮雲』放浪記(連載120)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正の講義がユーチューブで見れます。是非ご覧ください。
https://youtu.be/KqOcdfu3ldI ドストエフスキーの『罪と罰
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp 『ドラえもん』とつげ義春の『チーコ』
https://youtu.be/s1FZuQ_1-v4 畑中純の魅力

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

デヴィ夫人のブログで取り上げられています。ぜひご覧ください。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12055568875.html

清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。



人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。







人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。




清水正の著作・購読希望者は日藝江古田購買部マルゼンへお問い合わせください。
連絡先電話番号は03-5966-3850です。
FAX 03-5966-3855
E-mail mcs-nichigei@maruzen.co.jp




人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。



 清水正の『浮雲』放浪記(連載120)

平成○年12月27日
富岡は「心の底から、子供をほしいとは思わなかったのだ」と作者は書いた。子供を産むということはどういうことだろう。ゆき子は自らの意思で新しい命を抹殺した。富岡は自分の家族の世話も満足にできないのに、若い娘おせいと同棲し、妊娠したゆき子には子供を産んでくれと口にする。その富岡が実は子供などほしいとは思っていなかった。子供は希望である。少なくとも、人類の将来に絶望している者が子供を欲することはないだろう。成し得なかった夢を、希望を、自分の子供や孫に期待する者は多いかもしれない。が、富岡には自分に対する希望も、子供に託す希望もない。富岡のような男にあっては、自分の血を継承した分身(子供)の出現に立ち会うことは決して愉快なことではあるまい。鏡に映った自分の顔に嫌悪を覚える男のうちの一人が紛れもなく富岡兼吾である。
 描かれた限りで見れば、富岡は〈父親〉不在の息子のままに家父長的な役割だけは押しつけられた存在である。なにしろ『浮雲』という小説舞台に、富岡の父親は完璧にその姿を見せていない。富岡は父を喪失した存在で、換言すればすでに〈父殺し〉をすませてしまったかのような存在である。『浮雲』を読む限り、富岡が〈父親〉として崇めるような存在は一人も登場していない。富岡は設定上、父も母も、そして友人から奪った妻も存在するが、描かれたその姿からは世界にぽつんと投げ出された孤児のような相貌を見せている。
 『浮雲』は富岡とゆき子の腐れ縁を延々と執拗に描いているが、それは彼らの〈現在〉(回想を含む)を描いているのであって、実は彼らは等しく〈過去〉と〈未来〉を剥奪されている。読者はゆき子の家族関係や生い立ちのいっさいを知らない。読者に知らされるのは、ゆき子には静岡に父(名前や年齢、その性格などまったく知らされない)と母(唯一報告されたのは、ゆき子にとって継母であるということだけ)と姉(伊庭杉夫の兄鏡太郎に嫁いでいる)と弟(ゆき子の弟という以外の情報はいっさいない)がいるということだけである。富岡の場合もゆき子と大同小異である。親と子の関係が切断されている富岡とゆき子は、自分たちの子供を抹殺することで〈過去〉ばかりでなく〈未来〉をも喪失した〈現在〉の漂泊者とならざるを得ない。