清水正の『浮雲』放浪記(連載114)

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 清水正の『浮雲』放浪記(連載114)
平成□年7月25日

〈四十二〉を読む

  二週間もしたら、君に逢いに行くという手紙を、ゆき子に送ったが、二週間たっても、富岡は、ゆき子のところへは、尋ねて行けなかった。
  一番隔てのない話相手のゆき子のところへ、いっこうに出向いて行く気がしないのも自分のものぐさからではなく、向井清吉の裁判に忙わしくもあったし、弁護士の問題も、富岡が世話をしなければならなかったのだ。殺されたおせいが、向井清吉の内縁の妻であったということだけにこだわっているのではなく、清吉が身寄りのない男だからという、義務感だけで、富岡は、清吉のために走りまわっていた。獄中にいる清吉の面倒をみながら、富岡は、女一人を殺した清吉のまじめさに打たれ、自分の贋物的な根性が、吐気のするほど厭に見えて来るのであった。せめて、清吉の面倒を見ることによって、死者への贖いができるような気がした。(328〈四十二〉)

作者は、富岡がゆき子のところへ「尋ねて行けなかった」のは、向井清吉の裁判や弁護士のことで忙しくしていたからだと説明している。この説明にどれだけの説得力があるだろうか。わたしは向井清吉によるおせい殺害がとってつけたような設定であると思っているので、殺害後の向井清吉と富岡の関係に関しても微塵のリアリティを感じない。なぜ富岡は向井清吉の世話を引き受けたのか。作者は、身寄りのない清吉に対する〈同情〉とは書かずに〈義務感〉と書いている。面白い言葉である。富岡は〈義務感〉で妻と別れず、〈義務感〉でゆき子と関わり、〈義務感〉でニウに手切れ金を渡したように、〈義務感〉で向井清吉のために走りまわっていたというのであろうか。妻の邦子に三日と空けずに手紙を書き送りながら、安南人の女中ニウと関係を続け、ゆき子とも情交を結んだ富岡は、日本が敗戦すると、結婚の約束までしていたゆき子を置いてさっさと一人で日本へ引揚げて来た男である。この嘘つきで女たらしで実業家としての第一歩に躓いた富岡の〈義務感〉をどう受け止めたらいいのだろうか。
富岡が向井清吉のために走り回っている時に、彼の両親や妻の邦子はどうしていたのだろうか、と考えると、ここで作者が書き記す〈義務感〉という言葉は余りにも軽薄に見える。富岡の〈自殺〉や〈心中〉と同様、この〈義務感〉にもリアリティがない。今更、富岡に〈義務感〉など感じられても困るし、もし作者が富岡に義務を感じさせるというのであれば、富岡と向井清吉の関係の現場に高性能のカメラを設置して実況中継でもしてもらわなければ納得がいかない。さらに作者は「獄中にいる清吉の面倒をみながら、富岡は、女一人を殺した清吉のまじめさに打たれ、自分の贋物的な根性が、吐気のするほど厭に見えて来るのであった。せめて、清吉の面倒を見ることによって、死者への贖いができるような気がした」とまで書いている。作者はこの章で富岡の再生物語でも書く気になったのかと思わせる文章である。
いったい〈清吉のまじめ〉とは何なのだ。富岡を追って逃げたおせいの居所を見つけ、復縁を迫って殺害したことのどこが〈まじめ〉なのであろうか。戦争を体験し、子供を亡くし、妻と離婚し、伊香保で小さなバーを経営し、人生なるようしかならないと、覚ったようなことをもっともらしく言っていた向井清吉のおせい殺しなど、せせら笑ってすましてしまうのが富岡にはふさわしいのではないか。富岡が何で今更〈自分の贋物的な根性〉に吐き気をもよおさなければならないのか。
決定的なのは〈死者への贖い〉という言葉だ。〈贖い〉とは〈贖罪〉ということであるが、それでは富岡は何に対して〈罪〉を感じていたのだろうか。向井清吉に内緒でおせいと関係したことか。おせいが清吉に殺されたことか。おせいとの関係自体に富岡が〈罪〉の意識を感じたことはないだろう。もしそのことに〈罪〉を感じるなら、ニウとの関係にも、ゆき子との関係にも感じていなければならないが、富岡の場合、女の関係そのものに罪の感覚を持っていたようには思えない。ここに引用した叙述場面に限れば、富岡は向井清吉の〈まじめ〉に打たれて〈死者への贖い〉の意識に目覚めたということになる。ここで言う〈死者〉とはおせいのことであって、ゆき子が堕胎した子供のことでもないし、戦争で命を奪われた多くの戦死者のことでもない。
 なぜ、富岡の〈死者への贖い〉がリアリティを持たないのか。その理由は明白である。まず、おせいの〈死〉にリアリティがない。おせいの〈死〉にリアリティを与えるためには、作者はおせいと向井清吉の生活を丁寧に描かなければいけないし、おせいと富岡の生活も、ゆき子と富岡の関係の積み重ね以上に丁寧に描かなければいけない。妻の邦子との関係やゆき子との関係を清算し、富岡が真に自らの生の建て直しをはかるというのでなければ、向井清吉の〈おせい殺し〉や〈死者への贖い〉など、絵に描いた餅並のリアリティすら獲得できない。

 おせいという女にすがって、自分の生活能力を試み、萎縮した気持ちをたてなおしたいと願っていたのだ。だが、おせいは人妻であった。おせいの背後にいる、向井清吉という男のことなぞは、富岡は少しも気にしなかったし、向井清吉に多少の世話を受けたことも忘れ果てていた。男女の愛慾というものが、こんなにも激しかったのかと、富岡はおせいが清吉に殺されたと知って、初めて向井清吉の存在を知った。(327〈四十二〉)

 富岡にとっておせいが救いの女神になるかどうかもまた、作者の意思に委ねられていた。もし作者がおせいを富岡の救いの女神にしようとすればできないことはなかったであろう。それはゆき子におけるジョオも同じであった。しかし、見ての通り、作者はゆき子に大陸的な豊穣さを持ったジョオではなく、うらぶれたろくでなしの富岡の後を追わせ、狂言自殺よりも底の割れた心中行に付き合わせた。ゆき子から猿ッ子と嘲弄されたおせいは若い肉体だけがゆき子より勝っているだけの、性格的にはゆき子と瓜二つの女で、富岡とおせいの関係を丁寧に描けば描くほど、それは富岡とゆき子の関係の繰り返しになってしまう。作者はゆき子と富岡にそれぞれパートナーを代えただけの小説を書くよりも、敢えて小説的必然性から逸脱して、再び富岡とゆき子の〈腐れ縁〉に戻る道を選んだのである。いずれにしても〈おせい殺し〉や富岡の〈死者への贖い〉などは陳腐で安易な設定としか言いようがない。

  おせいと同棲したために、富岡は、清吉から、手酷い復讐を受けた気がした。伊香保を去って以来、富岡の頭からは、清吉の存在は、幻のように消えてしまっていたのだ。(328〈四十二〉)

 この文章を読むと、富岡は本当に想像力の欠けた人間に見えてしまう。なぜ富岡はおせいの旦那であった向井清吉のことを忘れてしまうのだろうか。富岡は今、目の前にいる女にばかりとらわれて、その女の親族や関係者のことに想像力を働かせることができないのであろうか。邦子は、友人であった小泉の妻であったが、富岡はその邦子を奪っておきながら、小泉に関しては一言の感想ももらしていない。そもそも富岡はこと女に関しては友人、後輩、恩人の区別なく、徹底して自己中心的に振る舞っている。おせいにちょっかいをかけたのも、向井清吉やゆき子と一緒に酒を飲んで炬燵に入っていた時だった。男と女の戦いにおいて、向井清吉は油断しきっていた。自分の娘と言ってもいいほど年の離れたおせいが、内心どのような思いでバー勤めをしていたかに思いを巡らせることのできる男だったら、おせいを富岡と一緒の風呂に付いていかせたりはしなかっただろう。要するに向井清吉はひとの良い、想像力に劣る鈍感な男であり、こういう男は若いおせいに逃げられても、伊香保のバーにとどまって客相手に愚痴をこぼしているのが似合っているのである。富岡が受けたという向井清吉からの〈手酷い復讐〉が〈おせい殺し〉というのはなんともお粗末である。富岡を本当の意味での和製スタヴローギンとして構築するのであれば、向井清吉の存在などずっと忘れていればいいのである。〈愛慾の強さ〉ということを問題にするのであれば、向井清吉は富岡やおせいの愛慾に敗北したというだけのことである。清吉の〈まじめ〉に打たれて、清吉のために走り回るなどという富岡は、描かれた限りで見ても最も富岡らしくないと言える。

富岡は、ドストエフスキイの悪霊のなかの、スタヴローギンがを首を縊る支度の最中にも、できるだけ死の前に、よけいな痛みや苦しみのないように、縊死に使う紐まで、べったりと石鹸水を濃く塗っておいたという、一章を忘れなかった。(328〈四十二〉)

富岡はここでドストエフスキーの『悪霊』の主人公ニコライ・スタヴローギンの〈自殺〉の場面を思い出している。富岡は『悪霊』の愛読者で、いつもスタヴローギンの〈自殺〉のことが頭にある。
 富岡はスタヴローギンの〈自殺〉をまったく疑っていない。こういった〈読み〉は富岡や作者林芙美子に限らず、昭和二十五年当時の文芸評論家や小説家のふつうの〈読み〉であったと言える。
 林芙美子が読んだ『悪霊』のテキストを今、特定することはできないが、ここでは昭和二十三年十月に発行された米川正夫訳・共和出版社版でスタヴローギンの〈自殺〉を報告する場面を引用しておこう。

  ウリイ州の市民は、すぐ戸の向側にぶら下つてゐた。卓の上には、小さな紙きれが載つてゐて、『何人をも罪するなかれ、余みづからの業なり』と鉛筆で書いてあつた。同じ卓の上には、一挺の金鎚と石鹸のかけと、あらかじめ予備として用意したらしい、大きな釘が置いてあつた。ニコライが自殺に使つた丈夫な絹の紐は、まへから選択して用意したものらしく、一面にべつとりと石鹸が塗つてあつた。すべてが前々からの覚悟と、最後の瞬間まで保たれた明確な意識とを語つてゐた。
  町の医師たちは死体解剖の後、精神錯乱の疑ひを絶対に否定した。(ドストエーフスキイ代表作選集 第二巻 悪霊 下巻 定価二五0圓 初版一九四八年十月廿五日発行 訳者 米川正夫 共和出版社発行)

スタヴローギンの〈自殺〉を疑わなかった富岡にとってスタヴローギンの鉛筆で書かれた遺書『何人をも罪するなかれ、余みづからの業なり』は憧れですらあったろう。スタヴローギンは決して失敗することのないように絹紐にべったりと石鹸水を塗っていた。スタヴローギンの〈自殺〉はあらかじめ用意周到な準備の上で決行されたというわけだ。富岡はこの叙述場面を読んで、スタヴローギンが「首を縊る支度の最中にも、できるだけ死の前に、よけいな痛みや苦しみのないように、縊死に使う紐まで、べったりと石鹸水を濃く塗っておいた」のだと解釈する。

 なぜ、首吊り用の紐に石鹸水が塗られていたのか、『悪霊』の作者はその理由を明確に記していない。富岡は痛みと苦しみを避けるためだと考えた。虚無の権化ニコライ・スタヴローギンが、死の苦痛を回避しようと、用意周到に丈夫な絹紐を用意したり、その紐に石鹸水をべったりと塗る作業をしていたと想像すると、この男の虚無とはその程度のものであったのかと哀れにも滑稽にも思う。が、ニコライの死をピョートル・ヴェルホヴェーンスキー一派による計画的な殺人であったと解釈すると、石鹸水を塗られた絹紐や遺書が、いかにもピョートルが仕掛けた悪ふざけのように見える。
 『悪霊』という小説は一筋縄ではいかない。現実の作者はドストエフスキーであるが、設定上はあくまでも作中作者であるアントン・パーヴロヴィチ・ゲーという男がその役を担っている。このアントンは国家の秘密警察機関から派遣されたスパイで、ステパン先生と同性愛的関係を取り結んで絶対的な信頼を獲得し、自由主義者ステパンの動向を逐一、当局に報告していた。つまり『悪霊』という小説は国家から派遣された秘密工作員アントンによる「スクヴァレーシニキにおける革命運動顛末記」といった性格を持っている。ピョートル・ヴェルホヴェーンスキーもまた単なる秘密革命結社の主魁ではなく、革命家を装った二重スパイである。国家から派遣されたスパイであるアントン・ゲーが二重スパイであるピョートル・ヴェルホヴェーンスキーの動向を知らないはずはない。ニコライ・スタヴローギンの〈死〉に関する正確な情報をピョートルから得ていたアントンが、ニコライの〈死〉を〈自殺〉として描いたのである。以上がわたしの説であり、従来の書かれたことをそのまま信ずるような牧歌的な読みとは異なる。
 林芙美子の『悪霊』解釈が富岡に反映していることは明らかで、富岡はこの小説の複雑な構造に何の関心も示していない。富岡はニコライ・スタヴローギンの淫蕩と虚無を自分の身に重ねることはできても、その思想上の深淵に降りていくことはなかった。富岡は敗戦後の日本を薄汚れた手ぬぐいのように生き続けるが、自らの半生を徹底的に自己検証しようとはしない。先勝国アメリカと敗戦国日本の関係についても、日本の文化伝統と西欧との比較検証も、今後の日本の未来に関しても、何一つ具体的に検証しないし、関係した女たちに関しても何ら〈反省〉しない。こういった男が、向井清吉の〈まじめ〉に打たれて、彼のために走り回るというのはてどう考えても腑に落ちない。

読者は富岡の全体像を知ることはできない。読者はゆき子との関係における富岡を知るのみで、富岡と妻邦子との夫婦生活、富岡とおせいの同棲生活、富岡と仕事仲間の関係など、その大半に関して報告されない。富岡がどんなに苦労して金策に駆け回っていたのか知らないし、向井清吉とどんな会話を交わしていたのかも知らない。読者は描かれた限りで富岡の像をイメージするほかはない。富岡に将来に向けての確固たるビジョンはない。農林省を辞めて材木関係の仕事を選んだはいいが、その仕事に失敗しているのであるから、目先の利益にとらわれて大局を見失ったと言われても仕方がないだろう。その意味では伊庭の方が実業家としてはるかに富岡を凌駕していた。富岡はロシア文学を愛好する山林事務官として、自分の才能を十分に発揮する場を模索するべきだったと思うが、作者によってそういった場を与えられることはなかった。