清水正の『浮雲』放浪記(連載113)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正の講義がユーチューブで見れます。是非ご覧ください。
https://youtu.be/KqOcdfu3ldI ドストエフスキーの『罪と罰
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp 『ドラえもん』とつげ義春の『チーコ』
https://youtu.be/s1FZuQ_1-v4 畑中純の魅力

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

デヴィ夫人のブログで取り上げられています。ぜひご覧ください。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12055568875.html

清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。



人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。







人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。




清水正の著作・購読希望者は日藝江古田購買部マルゼンへお問い合わせください。
連絡先電話番号は03-5966-3850です。
FAX 03-5966-3855
E-mail mcs-nichigei@maruzen.co.jp




人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。



 清水正の『浮雲』放浪記(連載113)


平成□年7月22日
 作者はなぜ小説的必然性から逸脱してまでゆき子と富岡の〈腐れ縁〉にこだわったのか。『晩菊』において男と女の必然性を描いた林芙美子は、『浮雲』において新たな可能性を執拗に模索したと言える。ゆき子は富岡に対する憎しみ怒りを超えて、富岡を〈慰めてあげる女〉としての役割を自らに引き受けた。これはニコライ・スタヴローギンにおけるダーリヤの看護婦的役割を意味するが、ニコライの虚無の魂を救うことはできなかった。はたしてゆき子は和製スタヴローギンと今後どのようにかかわっていくのだろうか。

  手紙を出してから、五日ばかりして、富岡から五千円の為替を封入して、君に逢うのも、もう二週間ほど待ってくれ、いま、一番、自分の苦しい時なのだから、誰にも逢いたくない。ただ、あのような手紙を貰ったことはせめてもの慰めだった。子供をおろしたこともやむを得ないが、これも、自分の到らぬことからできたこととあきらめている。きっと、逢いに行く。別れをしていないということが、君の真実なら、それを頼りに、きっと逢いに行くという文面の手紙がはいっていた。(327〈四十一〉)

富岡はゆき子の手紙に応えて五千円の為替を送ってくる。富岡はゆき子が日本へ引揚げて来た時には何度電報を打っても無視し続けたが、今度はすぐに返事を返してきた。一応これで富岡とゆき子の〈腐れ縁〉の続行は保証された。作者は存分にゆき子と富岡のその後の関係を描いていくことができる。
 手紙の返事を寄越した富岡は〈誠実〉である。富岡はゆき子の手紙に〈慰め〉を感じ、堕胎の件も〈やむを得ない〉と納得し、また〈別れをしていないということ〉に応えてきっと逢いに行くと誓っている。富岡の〈誠実〉は、妻邦子に対する不誠実の裏返しでしかないが、自分本位のゆき子にとっては、富岡の手紙は嬉しいものであったろう。
 作者は、手紙をもらった富岡の姿に照明を与えない。読者は、ゆき子の手紙をもらった富岡がどのような生活をしていたのか、その具体をまったく知らされない。どのような人間と関わり、どのような金策に走り回っていたのか。両親や妻邦子との関係はどうなっていたのか。作者は富岡を霧の中に置いたまま、小説を書き進めていく。