うちには魔女がいる(連載8)


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矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。



矢代羽衣子

うちには魔女がいる(連載8) 


 父の話


父の話をしよう。

父は自由な人だ。三ヶ月もの間なんの便りもないのなんてザラで、「生きてんのか?」と不安になってきた頃になってようやく何の前触れもなくふらりと我が家に帰ってくる。まるで昨日もウチで一緒に夕飯を食べていたような自然さでごはんを食べて、缶ビールを一本だけ飲んで話して笑って、そしてまた野良猫のようにふらりとどこかへ消えてゆく。まるで春になったら放浪の旅から帰ってくるスナフキンのようだ。私は、世界一有名なムムリクの旅人の娘なのだ。


私は父のことが子どもの時から大好きだった。
聡明で博識で、何事にも囚われない自由な人。それでいて、とても、やさしい人。
父は塾講師をやっていた。彼は生粋の子ども好きの、いつだって子どもたちを幸せにしたいと素面で言えてしまうような男で、まあ言ってしまえばとんでもないロマンチストなのだ。そんな性格ゆえに塾講師だけでは飽き足らず、いまではフリースクール聾学校などの読み聞かせのボランティア、子どもたちへのボディパーカッションパフォーマンスなどいろいろと手広くやっているようだ。お父さんは何をしてらっしゃるの? と聞かれて言葉に詰まったことは一度や二度ではない。

母がいた頃から物心ついたときにはもう私は魔女のおいしくてあたたかい家庭料理に囲まれていたが、一度だけ、父がそうめんを茹でてくれたことがあった。
その日は父と二人で彼の実家にお盆で帰っていて、父方の祖母が出かけてしまったので昼飯にそうめんでも茹でるか、ということになった。普段は魔女の作った料理を並んで食べるか、もしくはたまに外食に連れていってもらうかの記憶しかなかったので、父が台所に立っている光景がとても不思議で新鮮で、なんだか変にわくわくしたのを覚えている。
おとうさん、おりょうりできるんだね。そう言うと彼は確か、苦く笑ったのだ。
「料理ってほどのもんじゃあ、ないけどね」
案外手際のいい父の茹でたそうめんを、二人でこっそりキッチンのテーブルに広げて食べた。魔女が作った料理みたいに手が込んでるわけでも手間がかかってるわけでもない、ただの茹でただけのそうめんと、水で薄めて氷をひとつ浮かべた麺つゆ。それはいま思うと味気ないが、それでも子ども心に父が作ってくれたというその事実が嬉しくて嬉しくて、馬鹿みたいにはしゃぎながら麺をすすった。白い麺の束のなかに時々混ざる、ピンクや黄緑の色のついたそうめんがきれいだった。



昔から忙しい人だったが、母が脳溢血で亡くなってからは朝早く出勤し、私が眠ってから帰って来るようになった。父方の祖母が痴呆症になったのは私が中学一年生のときで、それを機に彼は介護のために地元に帰り、私は散々悩んだ末、生まれ育った今の家に残った。結局私と父が一緒に暮らしたのはたった十三年、時間に換算するときっともっと短い。親子というには、どこかきれいで、薄い思い出。
父のことを心から愛しているし、心から愛してもらった。やさしいあの人のことだ、たくさんの子どもたちの為に心を砕き、愛してきたのだろう。いままでもこれからも。そのことを、私は胸を張って誇りだと言える。
でもそれはきっと、私に帰る場所があったからだ。たとえ父が仕事で帰ってこなくても、顔を合わせる時間が年々少なくなっても、離れて暮らしていても。それでも私には帰るべきあたたかい家があって、守ってくれる大人たちがいて、やさしい料理が待っていて。だからこそ、今日この時まで、なんの迷いもなく父を好きでいられたのだ。あの人はやさしい人だったけど、私だけの父親ではなかったから。

最近は父に気まぐれに誘われた舞台やコンサートに連れ立っていって、時々二人で酒を飲む。無邪気に笑って自分の話をする父はまるで子どもみたいだ。今日もあの家で誰かが私を待っていてくれるから、私はこの人を友人のような気安さで「父さん」と呼べるのだ。
時折思い出す彼の茹でたシンプルなそうめんは、やはり白に混じるピンクや黄緑の差し色が美しく、そしておいしそうだった。

※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。