うちには魔女がいる(連載4)


清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

こちらもぜひご覧ください。
早稲田塾が選んだ大学教授」
http://www.wasedajuku.com/channel/good-professor/detail.php?professorid=44
ドストエフスキーファンのブログ「エデンの南」http://plaza.rakuten.co.jp/sealofc/13089/




人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。







ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp


清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。





人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。



矢代羽衣子さんの『うちには魔女がいる』は平成二十六年度日本大学芸術学部奨励賞を受賞した文芸学科の卒業制作作品です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。


父と娘



矢代羽衣子

うちには魔女がいる(連載4)



 


  牛丼讃歌


いつか魔女と結婚すると信じて疑わなかった融くんが、えくぼの可愛らしいお嫁さんと結婚したのは、私が小学校三年生のときだった。

融くんは母と魔女のいとこで、近所で機械部品の小売店を営んでいる。お店は通学路の途中にあって、小学生の頃は学校の帰りに融くんのお店に寄り道するのが常であった。
「ウイ、これ食べてきな」
彼はうちの血筋と違わず子ども好きで、そして好きなものにはついつい余計なものを与えたくなってしまうタチだった。
融くんのお店にはいつもお菓子やヤクルトなどが常備されていた。運悪く何もないときは、融くんがひとっ走りして甘い缶コーヒーなんかを買ってきてくれたものだ。いま思えば、あのクッキーやおせんべいは、学校帰りに必ず顔を覗かせるちいさな子どものために用意されていたものだったのかもしれない。


その日、融くんは、見たことのない白い箱を携えていた。
すん、と鼻を鳴らせば、食欲をそそる香ばしい醤油と肉の匂いがふわりと鼻筋を撫でた。これ食べたことある? とさぞ可笑しそうに聞かれて素直に首を振る。
「牛丼。うまいんだよ」
白い箱の中身は、有名なチェーン店の牛丼だった。私はそのとき、冗談抜きで生まれて初めて「チェーン店の牛丼」というものを見たのだ。
こう見えて案外箱入り娘であった私は、店屋物とはほとんど縁がなかったし、たまの外食もきれいなお洋服で少しおめかしをして、大人しくお行儀良くお料理を待つものだった。
いそいそと融くんがフタを開くと、むわんと湯気と一緒に先ほど感じたものより数段強いあまじょっぱい匂いが強烈に食欲を刺激し、知らず知らずのうちにじゅわっと口の中の唾液が増えた。あのどこかチープでジャンキーな匂いは、やさしい家庭料理の味しか知らない子どもにはなかなか刺激的だったらしい。
目が未知の食べ物に釘付けになっている私を見て、融くんは笑い声をあげた。
「ウイの分も買ってきたから食べな」
渡された自分の分の箱を前に、私は小さな頭をむむむと悩ませた。
その日は午前授業のみで給食がなく、あと五分も歩けば着いてしまう我が家では、魔女があたたかいお昼ごはんを作って待っているはずだ。この目の前にある美味しそうなものを食べたらきっとお腹がいっぱいになって、魔女のごはんを入れる隙間なんてなくなってしまう。それじゃあダメだ。せっかく作ってくれたあたたかいごはんが段々と冷たく固くなっていき、魔女の表情が悲しげに歪められる様を想像して、私は頭をふるふると振った。
その頃の私のなかでは、美味しいごはんは大人たちからの愛情を形にしたものであり、それを残すことはとてつもない罪悪のように思えたのだ。(ちなみにその価値観は未だに私の中に根付いていて、どんなに満腹であっても目の前にある料理を残すと、その後しばらく罪悪感という名の重い衣を何枚も引き摺りながら生活する羽目になる。)
しかし、目の前に差し出された牛丼は、いつも何かと可愛がってくれている大好きな融くんが、自分のためにわざわざ買ってきてくれたものだ。それを「おうちにごはんがあるから、いらない」と断れるほど、私は子どもでも大人でもなかった。
家で待ってる魔女の料理と、目の前の牛丼。きれいに水平を保っている頭の中の天秤にため息をつき、結局私はどちらにも手を伸ばした。



牛丼を完食し、何食わぬ顔で帰宅してからの昼食はなかなか厳しかった。それでもどうにか全てを胃に納め、私はどちらの愛情も無下にせずにすんだ。その頃から融くんには何かと餌付けされ続け今に至るので、私のダイエットがなかなか成功しない原因のひとつにそれが含まれているのはまず間違いない。
えくぼが可愛い融くんのお嫁さんは、ひとみちゃんといった。二人の結婚式ではしゃぎまくった結果、意味もなく飛び跳ねた挙句にドレスの裾を踏みつけ盛大に貸衣装を破き、青い炎を身に纏った魔女にこってりと絞られたのは苦い思い出だ。

やがてひとみちゃんはちいさな女の子を産んで、あんなにやわらかくて腕に抱くのも不安だった無口な赤ん坊が、いまではもうランドセルを背負って毎朝元気に学校へ通っている。ちょうど私が牛丼と魔女のごはんを天秤に乗せて悩みに悩んだ、小学三年生だ。
いつかあの子に、彼女の父親と同じように、牛丼でも買ってこようか。そんなことを考えるたびに、私はあの白い箱とあまじょっぱい匂いを思い出すのだった。



※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。