小林リズムの紙のむだづかい(連載515)

小林リズムの紙のむだづかい(連載515)


【さよならフレアスカート

 


 全身鏡の前で着ていく服を考えて着替えていたら、衝撃的なことに気づいてしまった。それは裾がふわーっと広がるタイプのフレアスカートを履いたときだった。ミニ丈でちょっとぶりっこっぽくて、言い換えれば女の子らしいと言えなくもない。たしか学生の頃に買ったもので、しばらく着ていなかった。そのスカートをはいた自分の姿をみて愕然とした。恐ろしいほど似合わない……。

 何がどう似合わないのか、具体的に説明するのは難しいのだけど、それはもう違和感しかなかった。昔はそれなりに似合っていたと思うのだけど、顔とスカートがマッチしていなくて顔だけが異様に老けてみえる。大人が幼稚園児の服を着ているような感じ。ちぐはぐファッションで完全に浮いてしまっている。
 この状態をなんと言い表せばいいのだろうと悩んで、ぱっとひらめいたのは「コスプレ」。そうだ、これはまさにコスプレだ。日常生活で着てはいけない。若者ぶって頑張ってフレアスカートを履いているようで痛々しいのである。
「ああ……私も老けてしまったのね……」
 認めたくはないけど、認めざるを得ない鏡に映し出された真実にしばし呆然とした。だって、このスカートが似合っていたときも確かにあったのだ。はじめから似合わなかったわけじゃない。その過去の自分に負けた感じがなんとも悲しかった。

 仕方なくクローゼットをあさって、見つけ出したタイトスカートを履いてみた。大人ぶって買ったはいいけどちっとも似合っていなくて眠り続けていたスカートだった。そしてびっくりした。なんと、似合っていたのだ。決して悩殺できるようなお色気ボディーではないけど、なんとなく普段よりも色っぽく見えなくもなくもない。凛とした大人な感じ?単なる自己満足かもしれないけど、フレアスカートよりはずっとタイトスカートのほうが似合っていた。

 年を取るのは若さを失うということじゃないんだなぁ。自分に似合うものが変わっていくだけ。似合っていたものを手放すかわりに、似合っていなかったものが似合うようになるのだ。ロリコンとか若さとかを崇拝する世間の一部の人の声に惑わされて、年老いることは悪だと思っていた。でも、きちんと年を重ねていけば決して痛々しくならないし、自分に見合ったものを見つけることを諦めなければいつまでもフレッシュな状態でいられるのだ。それは「若作り」ではなくて、純粋に「自分を持っている」ということなのかもしれない。そんなことを考えながら、私はフレアスカートを捨てた。





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