小林リズムの紙のむだづかい(連載494)


清水正ドストエフスキー論全集』第七巻。2014年7月31日刊行。D文学研究会発行・星雲社発売。A五判上製585頁。定価7000円+税



清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックジャパンで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

四六判並製160頁 定価1200円+税

小林リズムの紙のむだづかい(連載494)
清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演などを引き受けます。

D文学研究会発行の著作は直接メール(qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp) で申込むことができます。住所、電話番号、氏名、購読希望の著書名、冊数を書いて申し込んでください。振込先のゆうちよ銀行の番号などをお知らせします。既刊の『清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第六巻はすべて定価3500円(送料無料)でお送りします。D文学研究会発行の著作は絶版本以外はすべて定価(送料無料)でお送りします。なおД文学研究会発行の限定私家版を希望の方はお問い合わせください。


清水正の著作はここをクリックしてください。

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京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp

清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。
小林リズムさんがエッセイ本をリンダパブリッシャーズ(http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru)から刊行することになりました。本のタイトルは『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった八日で辞めた話』発売日四月五日。
http://lindapublishers.com/archives/publications/dokonidemoiru
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小林リズムの紙のむだづかい(連載494)

【恥じらいマインド】


 高校2年生の頃、世界史の授業をぼうっとして受けている私たちに、先生はこう言った。
「お前らは、知らないことを恥ずかしいと思わないのか?」
 授業内容に質問や気になることがあるかと聞かれて誰も何も言わずに黙っていたことや、俯き加減で寝ている人もいたような状況だったから、先生は思わずため息をもらしたくなったのだと思う。それでも黙りつづけているうちに、先生は失笑しながら聞き続けた。
「それなら、何を恥ずかしいと思うんだ? 裸になることか?」
 私は授業中にうっかり寝てしまうことはあっても妨害することはなかった。だからといって、真面目に聞いているわけでもなかった。丁寧に黒板に書かれた文字を自分のノートに書き写しているという作業をしているだけで、頭のなかはいつも別のところにワープしてほかのことを考えていたし、世界史が好きというわけでも得意というわけでもなかった。

 振り返ってみると、学校の授業で記憶に残っていることというのは内容よりも、先生の個人的な話だったり、考えだったり、ちょっと偏見じみた思考だったり、過激な発言ばかりだ。皮肉なことに、私はそういう授業とは無関係な話に飛んだり、先生が怒り出したりすると、感情をあらわにしているこの先生の話に自然と耳をかたむけてしまう。純粋に「聞きたい」という思いが湧きでてくるのをよく感じていた。

 世界史の先生はいつもぼんやりして自分からは何も発しようとしない、無知な生徒たちを前にうんざりしたのだ。私はそのうんざりされた生徒たちのなかのひとりだったけど、ぼんやりして自分からは何も発しようとしなかったくせにそんな我が高校生活にうんざりしていたから、先生の質問が胸に突き刺さった。
 ちょうどおバカタレントが流行している時分で、「わかんない」とかボケた解答が許されていたことも大きかったと思う。自意識が強すぎたから恥ずかしいことは沢山あったけど、そのときは「知らない」ということを恥ずかしいという感覚を自覚したことがなかった。その頃私が一番恥ずかしいと感じていたことと言えば、自分の内面にうずまく感情、自意識だったり恋愛だったり野望だったりが外側にもれてしまうことだった。

 あれから7年以上経って、思春期も通り越して自意識も薄らぎ、恥かしさに対しても寛容になったと思う。たとえば、知ったかぶりをしているのがバレることが恥ずかしい。それから、傲慢な発言をしてしまったことや、独断と偏見で決めつけてしまったことが恥ずかしい。恥という感情はいまだ健全で、私のいきすぎた言動を抑えてくれる。

 それから、パンチラは恥ずかしい。けれどそれは「パンツが見えてしまった」という恥じらいよりも、パンツが見えるように振る舞ってしまった言動のほうを恥じるべきなのかもしれない。そしてパンチラを恥ずかしいと思わなくなったときは、その恥ずかしいと思わなくなった感情を恥じたほうがいいのだろう。先生が言っていたことが「裸になるのと同じように、知らないことやわからないということを恥じる気持ちを持ちなさい。そして知りたい、わかろうという気持ちを大切にしなさい」ということだと解釈したのは、高校を通り過ぎてからもっとずっとあとの話だった。
 
 

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