星エリナのほろよいハイボール(連載89)

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星エリナのほろよいハイボール(連載89)

カラスが消えない
星エリナ

 
 生まれてからずっと埼玉県内に住み続けている私。小学校、中学校と地元の公立の学校に通っていた。埼玉県の都会っぽくて田舎っぽいところが、私は結構気に入っている。学校はどちらかというと田舎っぽい。小学校への通学路は畑と畑の真ん中の、かろうじて舗装されているたよりない道を一列になって歩いていく。ガードレールはなく、鉄パイプと紐で囲まれている道だった。中学校へも同じように、森の横の道を通って、畑を見ながら、線路沿いにある落書きだらけのトンネルを通っていく。自然に多く触れることができるのは大好きだった。
 自然が多い通学路に、たまに動物の死骸があったことはないだろうか。極たまに、鳥や猫が死んでいたりする。発見する度に「うわっ」とみんなでチラチラと見るのだ。男子なんかはつついたりして。中学生のときにはモグラを見たことがあった。普段は地中で生活しているから、滅多に見ない。そんなモグラが地上で死んでいるとちょっと興味があってじっと見てしまう。イラストで見たことはあるけれど、思ったよりかわいくない。
 興味だけ示した私たちは、大抵そのまま、動物の死骸を放置して家に帰るのだ。そして翌日にはすぐ忘れてしまう。なぜなら、翌日にその死骸は消えているから。何が起きているのかわからない。子どものころはそんなこと考えもしなかった。でもなぜか、いつも翌朝には消えていて、私たちは何事もなかったかのように過ごすんだ。
 人間が死んだとき、誰かが殺されたとして、発見したことをニュースで見て「うわっ」と思う。それでも翌日までには、警察が処理している。大きな事件でなければ、すぐに忘れてしまう。誰かが片付けたことを、私たちは知らない。
 動物の死骸だって、自然と消えるわけじゃない。誰かが片付けたか、土に埋めたか。いろんなことが考えられるけれど、ぱっと魔法のように消えることはない。小中学生だった私たちは何も知らない。
 先日、駅までの道の交差点の歩道に、カラスが死んでいた。まるで電線からボトリと落ちてきたようだった。私は昔と同じように無視した。「うわっ」と思ってから通り過ぎるのだ。今までならそれだけで終わる。その後はすぐに消えてしまうはずだ。だが、カラスは消えない。誰かの家の敷地内でもなく、自然が少ない駅付近。コンクリートジャングルでは動物も土に還ることさえできない。
 一週間消えないカラスは次第に羽が抜け、無残な格好になってきた。どこか寂しいような、切ないような。それでもそのカラスを蔑んでいる自分が嫌で、自分もいつか醜い姿になることを想像したりしてしまう。
 そんなことを思いつつ、カラスが消えてしまえばまた忘れていく。そんな自分もやっぱり嫌いなのだ。
 

※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。