ユッキーの紙ごはん(連載47)

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ユッキーの紙ごはん(連載47)


【社会の歯車上等志向】



ユッキー


 

 先日外食をし、帰る前に食べたお皿やグラスをまとめて一箇所に整理したところ、友達が 「おっ! さすが元・居酒屋」 と笑った。以前私が居酒屋でアルバイトをしていたことを言っている。そんな彼女も、現在進行形で居酒屋でアルバイト中。彼女も 「飲食店でお皿をまとめる系女子」 である。

 いわゆる、「飲食店バイトあるある」 だ。自分が外で食事をしたときに、ついつい店員さんが後片付けしやすいようにしてしまう。
 飲食店がどれほど忙しく、後片付けはどれほど時間を取るもので、店員をどれほど困らせるかを知っている。無理やり大量に皿類を乗せたお盆がどれほど重く二の腕に負荷をかけるか、まさに痛いほど知っている。

 仲間意識からくる同情? 私は気が利くアピール? それとも苦労を知っているからこそ助けたいという純粋な善意?
 恐らく全部だ。同情しつつ、友人には 「私って気が利くと思わない?」 と暗に主張し、頑張っている姿に自らを重ね、店員さんを少しでも助けたという自己陶酔を胸にお店を後にし満足感を手にする。
 他人から見れば多少鼻につく感情が見え隠れしている気がするけれど、誰も不幸になっていないのだから万々歳。

 つまり、「飲食店でお皿をまとめる系女子」 ≒ 「自分のアルバイト先の仕事と似ている店員さんには特別優しい系女子」 。

 ところが最近、私は上記した女子 (という言い方を自称するのに抵抗がある年齢になってきたが) 失格である、ということに気付いた。

 池袋駅やら渋谷駅やらの周辺を歩いていると、そこらじゅうでチラシやティッシュを配っている。しかし私は受け取らない。目も向けない。

 私はチラシやティッシュ配り、いわゆるサンプリングのアルバイトを経験したことがある。
 都会を歩く人なら想像しやすいかと思うが、まあみんな受け取ってくれない。無視、冷ややかな目はともかく、ひどいときには意地悪を言われることすらある。都会は冷たいといわれる所以はここにあるのだと強く都会を呪った。
 その精神的・肉体的苦労といったら、割に合わないと世間で囁かれている飲食店の仕事のほうがよっぽど良かったとしみじみ思ったものだった。

 なのに私は受け取らない。目も向けない。知らないふり。

 飲食店に比べ、チラシを受け取ったところで働いている人から貰える感謝の気持ちが小さいからだろう (一瞬で通り過ぎてしまうから)
 飲食店に比べ、私一人がチラシを受け取ったところで働いている人が楽になる部分が小さいからだろう (大量にあるチラシが一枚減ったところで雀の涙?)

 もう一つ、とても根性の悪い理由。

 私は復讐している。
 自分がサンプリングのアルバイトをしていたときに受けた虚しさや屈辱感を、今度は客としてチラシやティッシュを受け取らないことで、「仕返し」 している気持ちになっている。

「苦労を知っているからこそ助けたいという純粋な善意」 の正反対。
「苦労を知っているからこそ他人も同じ苦労を味わえばいいなどと思う人間として最低な悪意」 。

 飲食店でのアルバイトと違い、サンプリングのアルバイトは私に達成感や接客のノウハウなどのプラス要素をもたらさなかった。結果、このように捻くれた人格が露出してしまったのだろう。

 私と同じ苦労をすればいい!とは、これこそ何のプラス要素をもたらさない最低の思考だ。
 悲しみを他人への優しさに昇華できることこそ優しさだなあと、自省を込めて思う。


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