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ユッキーの紙ごはん(連載43)
【リズムさんの耳たぶ 1】
ユッキー
いつ読んだのか、タイトルは何だったのか、筆者は誰だったのか、そもそも何をテーマにしたものだったのか。何もかも覚えていないのだが、ある評論文に画家のゴッホを批判する箇所があった。
ゴッホは同じく画家であるゴーギャンと共同生活を始めた。二人はお互いの才能を祝福しあっていたはずが、そう経たないうちに関係はぎこちなくなっていった。
天才同士ゆえの感情の葛藤があったと分析する人もいるが、ともかくゴッホは精神に異常をきたし、自分の耳たぶを切り落としたと言われている。
これは耳切り事件として、ゴッホという画家を大きく形作るエピソードとして残っている。
前述した評論家は耳たぶを切り落としたゴッホについて、たしかこんな意味に取れるような文を書いていた。「単なる凡人が、天才になるために行った演出である」 。
ゴッホは本来、現在のような高い位置づけを与えられるべき実力はなかった。耳を切り落とすことによって精神異常を演じ、あたかも才能に苦しむ天才画家になりあがったのだと。
私はこの分析が大好きだ。正しいか正しくないかは関係がない。
好きなのは、大勢に 「天才」 と呼ばれている人間を 「凡人」 だと吐き捨てている思い切りの良さ。「嫉妬してるだけじゃん」 「凡人はどっちだよ」 「物の見方が捻くれている」 という自らの人間性への批判をまったく恐れない態度、評論家かくあらまほしきことかな。
何か創作する者として人の目に触れる存在には、たとえば耳たぶを切り落とすような、ちょっと変わったエピソードが不可欠だと思う。
天才を 「天才だよ!」 とわかりやすく色づける効果――もしかしたらゴッホ嫌いの評論家が言うように 「凡人」 をも 「天才」 に仕立て上げる力もあるのかもしれない。
それに、「天才」 の創作物を眺める凡人たちが安心する効果もある。
画家でも作家でも、有名な人に関しては経歴や生涯が細かく研究され語られ後世に残されている。それらは必ずといっていいほど波乱万丈なものとして表現される。
純粋な子供時代を過ごし、両親に愛され、年頃に出会った異性と恋人になり数年の交際を経て結婚し、子供も生まれ円満な家庭を築いて、大往生。そんなふうには決して書かれない。
だってもしそうだったら、その人の作品が素晴らしいものであればあるほど、凡人たちは身の置きどころがない。
(タイトルミスじゃありません。次回こそリズムさんについて書きます)
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