ユッキーの紙ごはん(連載38)

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ユッキーの紙ごはん(連載38)

 【男と女とオスとメス その二】

ユッキー


 




 前回は、異性関係に積極的な女性が好きだという話を書いた。

 そんな彼女達は流行語で 「肉食系女子」 と呼ばれる。女性の男性化が進んでいるとも言われるらしい。そして、男性の女性化。

「バイトで知り合った子の部屋に行って泊まったのですが、それからラインをしても返事がありません……。遊びだったってことでしょうか?」 という男性のネット相談を見て、なんだか異世界を覗いた心地がした。
 男が 「体目的だったんだ! ひどい!」 と嘆く時代なんだね……としみじみ呟く私の横で、肉食系女子が 「あるある。一回寝たくらいで付き合ってるつもりになる男、多いよね」 と迷惑そうに語るものだから、世界は私を置いて回っていると孤独感に苛まれる。

 そもそも私は、そんな 「乙女系男子」 が昨今のものなのかどうかを知らない。もしかしたら最近のものではなく、昔から男女はそういうものなのかもしれない。元肉食系女子のマダムあたりに聞いてみたいものだ。

 だけどそれにしたって、付き合ってもないのにふしだらなことはできないと誠実さを見せるわけでもなく、誘われるがままに女の子の部屋に泊まっておきながら、ラインの返事がきませんとインターネットで相談しているような男には、ついつい口が悪くなる。女々しすぎるよ、と。

 女々しい。これは男女平等が目指される現代で、何とも良くない言葉だ。
 小さい男の子が転んで泣いているとお母さんが 「泣かないの。男の子でしょ!」 という、「男の子なら転んだくらいで泣いちゃいけない」 論、それも男女平等に反する、いかがなものかという批判を読んだことがある。

 私も昔はよく 「お兄ちゃんは良くてなんで私はダメなの!」 と親に反抗したものだが、今となっては 「ダメなもんはダメ」 という親の理不尽な言い分を飲み込める。

 男女の違いが完全に失われることがいつか来るのなら、厳密な男女平等は意味を成す。けれど、そんな時代は多分こない。どんなに 「男と女」 でなくなろうとしても、「オスとメス」 であるという事実は、人間という動物が進化あるいは退化して雌雄同体にならない限りは残り続け、「男と女」 という違いの消滅を邪魔する。

 成人男性が人前でめそめそと泣いていても女性が脚を広げて座っていても決して性別を理由に批難されない、「男らしくしてよ」 「女らしくしてくれよ」 という恋人への愚痴がこの世から消え去る、そんな未来は恐らくない。

 ゆえに、私は前回のエッセイで 「異性関係の激しい女性はメスとしての特性に縛られず人間として自由なように思えて好きだ」 と述べたけれど、もし自分に娘が生まれてその子に同じ理論を展開され 「だから男の人とたくさん遊んだっていいじゃん」 と主張されたとしたら、私は自分の不合理を自覚しつつも、

「ダメなもんはダメ! お母さんに心配させないで!」

 と、泣き叫ぶだろう。

 女でありメスである私。全く違うのに、どちらも持っていなければならない。
 男と女とオスとメス。他人との関わりの中や自分の心の内で、正反対のそれらがぶつかり合うたびに、私は不自由だなあと感じてしまう。




 

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