星エリナのほろよいハイボール(連載63)

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星エリナのほろよいハイボール(連載63)

親戚が集まる
星エリナ
 
 田舎のお葬式をご存知だろうか。私の曽祖父は福島県の山の中にある葛尾村というところに住んでいた。小さいころは夏休みに兄と二人で新幹線と電車を乗り継ぎ、お泊りをしていた。お馬のじいちゃん、と呼ばれていて、馬主だった。山に土地を持っていて、軽トラで山を登り馬の世話をしていた。家の前には牧場というには小さすぎるけれど馬が過ごせるスペースがあって、よく馬に人参のエサをあげるのを手伝った。詳しくは知らないのだけど、ジョッキーだったとかそうじゃないとか。私の兄が生まれたときには馬に兄の名前をつけたとか。その馬は結構競馬で活躍したとか。
 そんな曽祖父が亡くなったときは、村中の人が家に集まった。親戚だけじゃなく、村中。一階の広間にみんなで輪になって、ながーい数珠をみんなで回した。全然知らないおじさんと喋って、村中の女性たちがごはんをつくった。私も一緒におにぎりをつくったのを覚えてる。あの時食べた炊き込みご飯の味、忘れられません。
 親戚だけでもかなりの数が福島にいる。まず祖父母。父の姉とその家族。祖母の妹とその息子家族。祖母の弟とその家族さらにその家族の息子家族。本家の叔父叔母たちがよくわからないけどかなりたくさん。祖父の弟が二人。その家族もたくさん。正直、顔だけ知っていて、どんな関係かわからない親戚がたくさんいる。
 そんなたくさんの親戚の一部が、集まることになった。震災後、原子力発電所で爆発が起きる。福島に住んでいる親戚にはあそこで働いていた人もいた。地元の人たちは東京でぽかんとしている私たちなんかよりはやく、事態に気付いていた。ここにいては、いけない。避難指示なんて待っていられない。すぐにガソリンがスタンドから尽きる。叔父たちは、農機に当てていたガソリンなどをかき集め、車二台で私が住んでいる埼玉に避難することにした。車に乗っていたのは私の祖母、叔母、叔父、祖母の妹とその息子家族4人、祖母の弟とその奥さん。10人。福島から、埼玉へ。半日以上かけて渋滞だらけの道路を走ってきた。しかし、ガソリンが最後まで持つことはなかった。春日部でガソリンが切れた。たまたま乗っていた車と同じメーカーの販売店があり、そこへ避難させてもらったらしい。そこから私の父に電話をし、父は家中のガソリンを車に積んで、春日部まで迎えに行った。
 私はアルバイトに行っていて、夜9時すぎに家に帰った。玄関にはたくさんの靴があって、リビングにはたくさんの親戚がいた。あの時のみんなの表情も、忘れられない。ぞっとした。絶望を見た人たちの顔だった。
「おばあちゃん……」
「あらどーもね」
 のんびりとしている祖母だったけど、もっとゆっくりに見える。思わず抱きついた。こんなに、祖母は小さかっただろうか。親戚みんなの背中が、小さく見えた。

   

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