猫蔵/慟哭と鎮魂の文学観


ドストエフスキー曼陀羅』第四号は特集『「清水正vs中村文昭〈ネジ式螺旋対談〉in21世紀」に寄せて』学生、文芸評論家、ドストエフスキー研究家たちの論文・エッセイを掲載してある。今回は猫蔵氏の批評を紹介する。




慟哭と鎮魂の文学観

 猫蔵


                                 
「主は与え、主は奪われる」。旧約聖書の「ヨブ記」はこう記す。清水正と中村文昭の対談を読み、一貫して浮かび上がってきたコトバである。“コトバ”と敢えて漢字で表さなかったのは、それがいわゆる言語のみに限定されるものではなく、それ以前の、疼くような肉体感覚を伴ったものをも含んでいるからだ。喪失と欠落。その深淵に向かい、舌の上のざらついた“言葉”を投げかける。それらの言葉は、洗練された言葉というよりも、呪詛にさえ近い。ゆえに、おのずからその科白はリフレインし、あるものはかたち崩れ、ただのひとときでさえ、同じ“言葉”としての姿はあり得ず、尽きることを知らない。
 対談の中において、両氏とも、肉親や身近な人間の喪失が芸術体験の根幹に深く関わっていると吐露する。みずからの肉体の一部ともいえる人間(事実、スキンシップを含め、自身の肉体史の一部を形作っていることに違いない)が、突然もぎ取られ、かき消されてしまう衝撃。いや、それ以上に恐ろしいのは、それでもなお、なに食わぬ顔で時を刻み続ける現実というものの非情であろう。「なぜ奪った?」「わたしが一体なにをした?」「それではなぜ与えた?」「わたしはどうしたらいい?」その問いに答える者はもちろんいない。ただ沈黙あるのみである。それは、色で例えるならば、真っ白、あるいは薄墨のようなブルーであるはずだ。絶体絶命のときに救いの手を差し伸べてくれる救世主の到来は永遠に先送りにされる。ともすれば、そこに新たな意味を見出すことは至難の業にも思える。
 喪失からの再生という視点に準拠するのであれば、ヨブ記の場合、主人公・ヨブは当初、確かに祝福の刻印(しるし)を授けられた者だった。生活水準の面、加えて厚い信仰の面においても、彼の前途は明るく照らし出されていた。おそらくヨブ自身もまた、神の祝福を感じずにはいられなかったであろう。広く解釈するなら、彼自身、みずからを運命に選ばれた特権階級として認識していた。順風満帆にいけば、ヨブの魂はより高次元へと磨き上げられてゆくはずだった。
 しかし、受難は訪れる。ヨブの信仰を嘲笑う悪魔が神と談判し、ヨブの厚い信仰心もまた、ヨブが神のもたらす恩恵に預かっているからこそ有効なのだと断じる。やがて神は、悪魔に、ヨブへと責め苦を味わわせることを許す。間もなく義人ヨブは、子を失い、健康を害し、友すら失う。予期せず、ヨブは神の寵愛の座から追われてしまう。ヨブに最も重くのし掛かってきたもの。それは、思いがけず目の当たりにしてしまった、これまで疑いもしなかった“神の沈黙”という問題だったのではないか。
 三島由紀夫は「大義」という語を用い、人間には利害関係の他に、殉じるにさえ値するもうひとつの価値観を欲する心が備わっていると述べた。著作『仮面の告白』において、熱気に包まれた祭りの景色のなか、男衆に担がれた神輿の閉ざされた奥に、人知れず四尺平方の闇を透し見てしまったと書く。いわば、神のおわすべき場所にある“空っぽ”を垣間見ながらも、殉じるべき「大義」を必要とせざるを得なかった三島の生(せい)がある。「ネジ式螺旋対談 清水正vs中村文昭」は、もちろん対談でありながら、互いに、「みずからの言葉はただ単に目の前の相手に向けて発せられただけのものとは性格を異にする」という共通の見解を経て、今は亡き近しい者たちへの想いと話題が進んでゆく。この面において、ふたりの芸術観は一致を見る。注目すべきは、“神の沈黙”を突きつけられてなお、彼らの言葉(コトバ)が、痩せた絶望の吐露ではなく(往々にして虚無においてはその言葉すらも出てこなくなり得るが)、虚無の深淵からなにかを新たに見出し、いかにして豊饒な言葉(コトバ)を紡ぎ出すに至ったかという部分である。確かに、詩人であり、文学者であるふたりの言葉は、絶望を噛み締めてはいるが、けして貧しくやせ細ってはいない。誰がために咲くでもなく野に咲き誇る、大輪の花のような生命力と味わいを感じさせることに目を見張る。
 みずからが、誰からも祝福された存在ではないという感覚。これは、ヨブがこれまで神を崇拝し、穏やかで幸せな生活を送ってきた者であるほど、深刻な問題として彼に襲いかかってきたであろう。ヨブ記において特筆すべきは、ヨブが一貫して神への信仰を曲げない聖人としては描かれず、途中で神の理不尽な仕打ちとその沈黙を嘆く者として描かれる点にある。ヨブを敬愛していた者も次第に彼との接触を忌諱するようになり、ヨブは人間というものの一面を思い知らされたはずである。自分がこれまで人々の人望を集めていたのも、ヨブ自身が社会的成功を収めた篤志家だからという点に拠るところが大きく、けしてヨブ個人の魂に対する敬愛だったと言い切ることはできない。ヨブの慟哭の根源は、ここに端を発しているように感じられる。
 ヨブ記はその結末において、やがて神への信仰を回復するヨブの救済と再度の繁栄という、多分に予定調和な訓話として収束してゆく。その一方で、神の沈黙を呪わずにはいられなかったというこの挿話は実に生々しい。現実世界に生きる僕らが等しくヨブの身代わりだとするならば。例えば、僕が子供時代に観た怪獣映画には、度重なる核実験や環境破壊が原因で突如凶暴化したモンスターが人間社会に復讐し、人間を喰い物にするという筋書きのものが多かった。だが、その真に迫った設定とは裏腹に、いずれもそのラストは科学の粋を集めた画期的な発明や、人類に与する超人の活躍によって落着するものばかりで、幼いながらもそのご都合主義に若干の残念さを感じたことを覚えている。この感覚はヨブ記を読んだ際にも感じられた。むしろ僕が本当に見たかったのは、理不尽なモンスターによって徹底的に蹂躙され尽くした後、果たしていかにして人間が人間らしさを失わず生きてゆけるのかというその真相にこそあったように思う。
 ヨブ記のラスト、ヨブは新たな富と健康、そして子に恵まれ、かつて以上の神の恩恵を手にする。最終的にはヨブの信仰が神に認められ、物語は幕を下ろす。ここにおいて、ヨブの義を試すために神によって奪われた子供たちの魂がどうなったのか、ヨブ記は記してはいない。しかし、一方的に奪われた魂への慟哭、沈黙し続けた神に対する声にすらならない叫びが、果たしてその後に再び神からの恩恵がもたらされたからといって、ヨブのなかできれいさっぱり清算されたのであろうか。ヨブにとって、それら失われた魂は代替可能なもの、名前すらもたない、その他大勢に過ぎなかったのであろうか。こう考えるにつけ、ヨブ記がヨブ自身による、神の福音(しるし)の喪失と希求の物語だった以上、訓話としての側面を抜きにいえば、失われた子供たちへの鎮魂、ひとりひとりの魂への語りかけを抜きに、ヨブ自身の再生はあり得ないように感じる。
 対談のなか、中村は、みずからに年子の弟がいたと打ち明ける。しかし、エイジと名付けられたその弟は、一年足らずでこの世を去ってしまう。当時二歳足らずだった中村は、少なくとも認識の上では、中村家唯一の男子という考えでこれまで生きてきた。だが、今回清水との対談を通じ、自分が夭折の詩人の詩に惹かれながらも、自身がこれまで一度も自殺をしようと考えたことがなかったのは、あるいはグリム童話の命の蝋燭のように、弟の生をみずからが引き受けて生きてきたからではないかと吐露する。(前後して、中村は別の文脈においてだが、画家ゴッホについても言及する。ゴッホにも自分が生まれる前に亡くなった同名の兄がおり、ゴッホは自分自身がその兄の生まれ変わりであるというやや強迫めいた観念を常に抱いていたという。ただしゴッホの場合、中村とは決定的に異なり、みずから命を絶ったという違いがあるが。)中村自身、みずからの生を根拠付けるものとして、弟エイジ氏の存在は欠かせないものであったといえる。
 清水の場合、清水の母は清水より先に三人の息子を亡くしている。“正だけは死神に連れていかせないぞ”という、死者を意識した眼差しが母のなかにはあったのではないかという中村の問いに、「それはなかった」と清水は返す。手加減なしで思い切り殴られたし、当たり所が悪ければ死んでいた。愛情はあったものの、特別大事に育てられたというのとも違うという。「千尋の谷から子を突き落とし、這い上がってきた者だけを育てる」という例の寓話が母の場合に用いられて語られていることが微笑ましくもあり、逞しい母親像を想像させる。そんな清水の母も、初めて子供を授かったときは、きっと大切に育てたのかもしれないと僕は思う。しかし、「主は与え、主は奪う」。子を奪われた親の慟哭は想像に絶する。そして、四人目に生を受けた清水を、一見乱暴に扱う母の心の奥底には、生まれ変わりの願いを託す祈りとはまた違った、母から息子へのエールのようなものを感じずにはいられない。お前は誰の生まれ変わりでもない。お前はお前の生を生きろ、という声が耳に聞こえてくるようである。新しい子が生まれたからといって、清水の母はおそらく、前の子供を片時も忘れたことはなかったのではないか。その上で、正は誰の人生をも背負うことはない、まっさらなお前でいいんだという、潔く力強い、母の声なき声が読みとれる。その一点において、本対談のなかで語られる今は亡き清水の長男、新人(あらと)氏の言葉が共鳴する。新人氏の名は清水自身により、『罪と罰』のなかから命名された。そこには神の国の人という意味が込められていた。しかし、新人氏は白血病に侵されてしまう。満十一歳のときである。あるとき、入院中の新人氏を見舞った清水は、「名前変えようか」と彼に尋ねる。しかし、新人氏は「いい。この名前でいいんだ」と口にする。この短い言葉の中に、“俺は俺自身の名前を生きるんだ”という、氏の言葉にならない“コトバ”、清水の母の佇まいに通底する魂の閃光を感じずにはいられない。