山崎行太郎/絶対的他者としてのドストエフスキーとの対話劇──清水正試論


ドストエフスキー曼陀羅』第四号は特集『「清水正vs中村文昭〈ネジ式螺旋対談〉in21世紀」に寄せて』学生、文芸評論家、ドストエフスキー研究家たちの論文・エッセイを掲載してあるが、今回は山崎行太郎氏の批評を紹介する。



絶対的他者としてのドストエフスキーとの対話劇
──清水正試論

山崎行太郎


 ドストエフスキーの好きな人は少なくない。ドストエフスキーについて書く人も、語る人も少なくない。ドストエフスキー論を書き続ける人も少なくない。
 しかし、それらは「ドストエフスキー的」ではない。ドストエフスキー体験やドストエフスキー論を書くドストエフスキー・ファンの気持ちは分からないでもないが、私は、その種の文章にほとんど興味も関心もない。『謎解き・・・・』というような、江川卓流の綿密な読解の記録にも、それらがいかに緻密で正確であろうとも、関心がない。何故か。それらは、まったく「ドストエフスキー的」ではないからである。
キルケゴールは、「キリスト教会にはキリストがいない」といった。「キリスト教世界にキリストを回復すること」を目指したのがキルケゴールだった。キルケゴールが言う「キリスト」こそ、「絶対的他者」としてのキリストということであろう。
 町から町へ歩き回る薄汚い浮浪者的存在として、数々の奇跡を引き起こし、少しずつ信者や仲間たちを増やしていくイエス・キリスト……。「予言者は故郷に入れられない」と言って、故郷の人々から追放されるイエス・キリスト……。弟子たちに裏切られて、一人、十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘に向かって引きずられていくイエス……。キリスト教には、そういう絶対的他者としての「キリスト」がいないとキルケゴールは言うのだ。
 同じことが、ドストエフスキー論やドストエフスキー研究にも言える。ドストエフスキー論やドストエフスキー研究には「ドストエフスキー」がいない。私が、ドストエフスキー論にもドストエフスキー研究にも興味が持てないと言うのは、そういうことだ。
 私は、昔からミステリー小説が嫌いだ。ミステリー小説の類を、ほとんど読まない。そこには、ミステリーが欠如しているからだ。少なくとも、作者は、ミステリー(犯人)を知っている。ミステリー小説には、ミステリーはない。
 キルケゴールは、このことを、次のように言っている。

  《しかし近代人はキリストを抹殺してしまった。つまりかれを全然すてさってその教えだけを取るか、あるいはかれを空想化して、かれが直接的伝達を行ったのだという空想的こじつけをするか、そのどちらかによってキリストを抹殺するのである。同時代の状況においては別であった。その際にまたキリスト自身が、矛盾のしるしであろうとしたもうたがゆえに、微行(インコグニト)の姿でいることを欲したもうたという事実をも同時に思い起こさねばならぬ。》(キルケゴールキリスト教の修練』)

 キリストが「矛盾のしるし」であったように、ドストエフスキーもまた、「矛盾のしるし」として存在している。 清水正の「ドストエフスキー論全集」を読みながら、私は、キルケゴールの言う「キリスト」のことを考えていた。つまりドストエフスキーのことでも清水正のことでもなく、ドストエフスキー清水正の関係、すなわちバフチン的な他者性という問題である、ドストエフスキー的に語り続ける清水正の他者性である。
 ドストエフスキードストエフスキー的に語り続けることは容易ではない。それは、文字通り、自分が、ドストエフスキーになりきることの困難さと同じである。私に言わせれば、ドストエフスキードストエフスキーであり、読者は読者である。読者がドストエフスキーになりきることは、ありえない。ありうるとすれば、一種のキチガイ沙汰であろう。
そのキチガイ沙汰に近いことを、清水正の『ドストエフスキー論全集』は実践している。言い換えれば、清水正の『ドストエフスキー論全集』は、ドストエフスキー論でもドストエフスキー研究でもない。
 清水正ドストエフスキー論は膨大な量である。しかもそれは、二十歳前後から、六十歳を越えた現在まで続いている。誰もこれだけドストエフスキーを語り続けることは出来ない。清水に、それが、なぜ、出来るのか。それこそ大きな謎である。誤解を恐れずに言えば、清水自身が「ドストエフスキー」だからだろう。

 清水正と中村文昭の対談「「ドストエフスキーin21世紀」は、面白かった。なぜ、面白いのか。
 そこに、「ドストエフスキー」という他者がいるからだ。繰り返すが、多くのドストエフスキー論やドストエフスキー研究には、絶対的他者性としての「ドストエフスキー」がいない。われわれに語りかける、薄汚い「キリスト」としての「「ドストエフスキー」という他者がいない。清水正は、こう言う。

《ですから僕にとっては批評が行為なんです。だからそれは例えば、非常に平べったい言い方をすると、僕的な言い方をすると、僕と一緒に大学に入って、革命運動に参加した人たち、あなたたち今革命運動やっているのかと、それを問うわけですよ。俺はずっとやってるんだよ、と。批評行為という行為をし続けているんだと。あなたたち何やっているのと。もし好好爺になって公園で孫なんか抱いて歩いていたら承知しないよ。やっぱり僕にとって行為というのは死ぬまで、生涯かけて持続してやるべきものだと思ってるんで……。》(「ドストエフスキーin21世紀」「江古田文学82」)
 
 清水正は、何故、ドストエフスキー論を書き続けるのか。書き続けることは意志や努力で出来るものではない。では、清水にドストエフスキー論を書かせるものは何か。清水は、亀山郁夫江川卓埴谷雄高山城むつみ……等と同じように、ドストエフスキー論を書いているのか。私は、違うと思う。何処が違うのか。 
 
《違うんですよ。だからそこが決定的に違うわけですね。そうすると、僕がドストエフスキーをやるときに、清水はドストエフスキーずっとやってるからドストエフスキーに跪拝していると思ったら大間違いで、違うんですね。》

清水は、研究対象としてドストエフスキーを論じているのでも研究しているのでもない。あくまでも清水正清水正を研究対象にしているのだ。つまり、清水は、清水正を論じているのだ。ドストエフスキーではない。

《だから十四歳のときから今まで変わっていないんです。死ぬまでやり続けるということね。》

 何故、死ぬまでやるのか。おそらく、意志や努力でやっているのではない。何か得体の知れないものに、押されるように、やっているのだ。
 清水正には三人の兄がいる。しかし三人とも、まだ小さいうちに死んでいる。従って、清水正は三人の兄の顔も知らない。

《その時にわかりましたよ。母の悲しみが。ドバーッと来ましたよ、それが。僕は自分の兄三人の顔も何も知らない。写真の一枚も残っていないんだから。だけども「ああ、死者たちによって、自分は支えられているんだな」っていうことはあるわけです。》

清水正ドストエフスキーに駆り立てているものは、ドストエフスキーではない。ドストエフスキーの愛読者とか、ドストエフスキーのファンだとかだったら、清水正の批評はここまで長く続くことはなかっただろう。

《話は飛ぶかも知れませんけれども、やっぱり死者に支えられていることはあるんじゃないですかね。(中略)つまり僕はそれを集約して今は亡きおふくろだって言っているんです。僕の文学の教師はおふくろだ、と。(中略)ドストエフスキーじゃないですね。おふくろですね。だから、嫌と思う人もいるかもわからないけど、つまり清水正の世界の中にドストエフスキーがあり、宮沢賢治があるのであって、僕がドストエフスキー宮沢賢治の世界の中に入り込んでいっているんじゃないですよね。》

私が、ドストエフスキー論やドストエフスキー研究に興味がないという意味は、ここにある。凡庸な読者が、ドストエフスキー・ファンになり、ドストエフスキーの愛読者になることはよくあることだ。しかも、ドストエフスキー論やドストエフスキー研究を繰り返すことも。
 しかし、清水正のように、初心を貫き通して、四十年以上もドストエフスキー論を書き続け、「ドストエフスキー論全集全十巻」を企画・刊行するなどということはない。
 私は、清水正ドストエフスキー論の中身に興味がないわけではない。しかし、「清水正という問題」にとっては、些細なことのように見える。そちらの方は誰かが論じるだろう。
私は、それよりも、若きドストエフスキー研究家・清水正の社会的デビューのドラマの方に関心がある。清水は、二十歳の時、所沢のゴム工場のアルバイトで得た金で、『ドストエフスキー体験』を自費出版した。近藤承神子の「清水さんと知り合った頃」によれば、清水正は、一九七〇年六月十日、東京厚生年金会館で、「『罪と罰』と私」という演題で、はじめての講演をしたという。

《話が始まった。個性的である。(中略)裸の肉体をドストエフスキー御本尊にぶっつけて得た紛れもない自分の言葉で語り続ける。(中略)彼の大変な「居直り」にたまりかねた会員の一人が、とうとう中断を申し入れ、司会者をあわてさせた。》

私は、この話が好きだ。清水の「ドストエフスキー論全集」の単独性がここにある。理解不可能な異物として、清水のドストエフスキーは存在している。言い換えれば、これは、清水正という存在が、絶対的他者として存在しているということだ。