小林リズムの紙のむだづかい(連載273)

小林リズムの紙のむだづかい(連載273)
清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演などを引き受けます。

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四六判並製160頁 定価1200円+税

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清水正へのレポート提出は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお送りください。


小林リズムさんが八月九日「ミスID」2014にファイナリスト35人中に選ばれました。
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小林リズムの紙のむだづかい(連載273)
小林リズム
  【出口はたぶんない】


 

   大学生の頃、とある占いに通い詰めていた時期があった。通い詰めるといっても、友達を誘って一緒に行くことが多く、ひとりで足を運ぶことはなかった。けれど合計すると5回くらいは行ったことになる。鑑定士は白髪交じりのオネエ風なおじさんで、途中から大学のOBであるということがわかった。室内は100円ショップで買ったような安っぽい雑貨の飾りつけがされ、人相占いのポスターが貼られていたり、変な球がくるくると回っているオブジェが置かれていたりと「イカニモ…!」な、怪しい雰囲気を醸し出していた。都内でありながらも比較的安値な占いであったこともあり、そこそこ人気で、並んで待つことも多かった。

 当時わたしは20歳。学生で、まあまあお金もあって、可能性あふれる未来だって持っていたはずなのに、人生のどん底だった。持っているのは不満だけ。原因不明の何かに押しつぶされ、常に余裕がなく人と自分の粗探しばかりを繰り返す。蘇る黒歴史。恥ずかしいことに「人生なんて、たかが知れてる…」と悟った気になっていたのだ。思い出すたびに「あんなに落ち込んじゃって…何に悩んでいたんだ…」と不思議なのだけれど、とりあえずメンタル状態がひどく荒んでいたのだった。

 正直に言うと、通っていた占いがスゴイかどうかといえば、スゴくない。「あなた、自由を求めるタイプね」とか「でも寂しがり屋でしょう」と、誰にでも当てはまるようなことを言い当てられるだけだった。「今後の恋愛はどうなんでしょう…?」と聞いても「今は好きな人いるの?」と聞き返され「いません」と答えると、渋い顔をして「そうねぇ…あと2年以内かなぁ」と無難なことを言われるのみ。それでもわたしが通い詰めていたのは、信じたい何かが欲しかったからなのだと思う。あなたは大丈夫よって背中を押してほしかったからなのだ。ぼろぼろだったわたしには、赤の他人が言う根拠のない確信がどうしても必要だった。「あなたは大丈夫よ」「未来は明るいわよ」「5年以内には素晴らしいことが…」という、先の見えない未来に進ませるための手立てがないと動けない。それくらいに苦しかったのだ。

 そんな時期を通り過ぎてわかったのは「自分で抱えている内側の問題って、結局は自分で解決するしかないよねぇ」という、当たり前のこと。答えはどんなときも自分のなかにしかない。人と話しながらヒントを得たり、自分の心のなかが見えてくることはあっても「この先わたしはどうするべきでしょう…?」などと、自分のなかにある問題を他人にゆだねるなんて、甘い。そのことに気づけなかったから、立ち上がるまでにお金も時間もたくさん費やしちゃったよ、もう。単純に無駄遣いなのだけれど、生きていくなかでこういう無駄は必要なんじゃないかなぁ…。と、思えるのは、手遅れになる前に気づけたからなのかもしれない。きっといくつになっても自分のなかにある問題から目を逸らし、人に助けを求めたくなるときはきっとある。そのときはそれでいい。その場、その瞬間だけでも救われたらいい。苦しいときは誰かに寄り添ってもらいたいし、同情もしてもらいたい。だからこそ、そのあとはきちんと復活して、どうか目を覚ましてほしいと思う。腐ったって、自分の人生を生きられるのは自分だけなのだ。人にハンドルを握ってもらったところで、同じ方向へ向かうことはできても、望むところに行き着けない。

   
 小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
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