ユッキーの紙ごはん(連載25)

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ユッキーの紙ごはん(連載25)


【世界は繋がっている】

ユッキー


 
いつからか、はたまた何の影響か、日本ではあまり馴染みのなかったはずのイベント・ハロウィンが推されるようになった。ひと月も前から店頭には主に紫色やオレンジ色が溢れかえり、ハロウィン商品が並べられている。
ハロウィン当日は、日芸文芸学科の友達も何人か仮装し、大学内でお菓子を配って歩いていた。

そして街中にも、仮装した人々はいた。都会の街に表れ、しかもかなりの集団だったということで、ちょっとした苦情もあったらしい。迷惑だとか何とか。

私なんかは、実際に遭遇していないからかもしれないが「一日だけだし別に良いんじゃないか」と思ってしまうけれど、かといって嫌だと感じる人の気持ちがわからないわけでもない。むしろ機嫌が悪かったら「なに浮かれてるんだ!ふん!スタイルいいと仮装が様になっていいよね!シット!」と、やっかみと八つ当たりで構成された苦情を飛ばしていたかもしれない。

人は日常にいるとき、非日常を押し付けられるのが嫌だと感じるのだと思う。
自分から日常を脱し、自主的に非日常へ入っていくことは楽しく感じるのに。ディズニーランドやシーに行って楽しむのが良い例だ。

ところがディズニーが大好きだからといって、じゃあ駅の改札に毎日ミッキーがいて「やあ!お仕事、がんばってね!」とか言ってきたら、……ちょっと鬱陶しい。(ミッキーはたとえであってミッキーに罪はありません。ごめんなさい)
おそらく、多くの人がそう感じるんじゃないか。仕事や学校に行かなければならないという日常を生きているときに、ミッキーという非日常に無理やり入り込んでこられると、「今そんな気分じゃない!」ってなってしまう。

自分の日常から外れたものは、少し怖い。

先日、駅へ向かっていたら、ホームレスのような格好をしたおじさんが前を歩いていた。黒い肌で、黒い服を着て、ビニール袋を手から下げてふらふら歩いている。
親に養ってもらって不自由なく暮らしている私や、そして駅に溢れている「普通」の人達にとって、このおじさんのような人は「非日常」な存在だ。だから皆、見てみぬふりをする。マザーテレサに苦言を呈されたにも関わらず、日本社会は変わらない。

私の地元の駅は、都会に比べてこういう人たちは少なめだ。思わず視界に飛び込んできた「非日常」に若干緊張しながら駅へと歩く。おじさんも駅へ行くらしい。
 構内に入ると、おじさんは改札前のベンチに座った。そしていそいそとビニール袋を探る。朝ごはんかな。

おじさんが取り出したのは、納豆だった。パックの。
私は面食らってしまった。だってホームレスの人って、カップラーメンとか、とにかく簡単に食べられるものを食べてそうなイメージ。

電車の時刻が迫っていたので、おじさんが納豆をどうかき混ぜたのか(ちゃんとタレをかける前にも混ぜたかな?)とか、何かと一緒に食べたのか(私としてはやっぱりごはんにかけて食べるのが至高)とかは、全くわからないまま、おじさんを置いていった。

その出来事から数日経つが、思い出すと、今でも良い気分。なんだろう。納豆、食べるんだ。好きなんだろうな。家以外で食べるには厄介なものを、駅のベンチでわざわざ食べていたんだから。

非日常だと思っていた存在が、自分の日常に姿を現した。いや、私の日常が少し角度を変えたのかもしれない。とにかく、なんだかすごく、「一つ」を手に入れた気分だった。

視野が広がるって、自分のくだらなさを知るって、こういう感覚なんでしょうか。




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