星エリナのほろよいハイボール(連載36)

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星エリナのほろよいハイボール(連載36)


トラウマを思い出す

   高校三年生が私の人生のピークだったのかもしれない。すっごい少女漫画みたいな片想いをしていたし、大学受験もそこそこうまくいって。正直、高校のなかでは文章力は一位だと思い込んでいた。先生には誉められることしかないし、友人たちからは文章の校正を頼まれていたし。そんなだから大学一年生のときはかなりの天狗になっていたのだ。
 そんな私にトラウマを植え付けたのが、一年次のゼミの先生、夫馬基彦先生。一年次のゼミは学籍番号で割り振られる。ランダムだから選べない。しょうがないよねー、なんて言うけれど。あれは全部運命だから、ランダムで選ばれた運命。最初は短いエッセイを書かされた。はじめて書いたエッセイは東北の震災についてで、私にとってタイムリーな話題すぎて、ネタとしてうまく書けなかった。それに関しても見抜かれ、そんなんじゃダメ、と言われた。その次のお題が「青春」だった。青い春なんてわかんないよ、と思いつつ、ちょっと頑張って書いてみた。すごく誉められた。
 そのときまではゼミが楽しかった。鏡のように成果が返ってきたからだ。頑張れば返ってくるし、てきとーなこと書けばバッシングされた。その後のゼミ雑誌作成も大変だった。創作を二本出した。うち一つはちょっと大人ぶって書いた「東京デュアリズム」。もう一つは高校生のときに書いた小説のスピンオフだった。正直こちらは慌てて書いたので面白くない。グラビアページを編集できる人がいないため、私がやった。でもこれもひどかった。編集知識が何もないし、納期ギリギリ(私のせいではない!)でゲラが送られず、ちょっと私は忘れたい所謂黒歴史になった。
 年明けには合評会が開かれた。まずゼミの学生全員に意見を言われる。それがまぁひどいのなんのって。結構みんなずばずば言うのよね。「あーそっか、それは私気付かなかったな」っていうのは受け止めたほうがいい。「それはわかってるよ、あえてだよ、わかれよ」っていうのは本当に気にせずスルーしたほうがいい。と私は学んだ。そこで文章について学生同士でバトルするのは不毛だと思うから。
 私の東京デュアリズムもまぁさんざんひどく言われた。けれど思ったよりお褒めの言葉が多かったことも覚えてる。色の表現が上手とか、情景が目に浮かぶとか。もちろん反対に、「夢見てるでしょ、こんなお洒落なバーなんてないからね」と上京してきたばっかりの子に鼻で笑われたこともある。ちなみにこの小説のなかで書いたバーは知り合いが経営しているお店を思い出しながら書いたので実際、あります。
 とにかく学生からの合評も終わり、最後に先生から批評をいただくはずだった。ほかのみんなの小説には結構いろいろなことを言っていた。「こんなに難しい漢字を使う必要はない」とかまーいろいろ。誉めたりもしていた。
 そして私の番。まず聞こえたのは「ふっ」と鼻で笑う音。
「バカバカしい。以上」
 はい、次。
 えっ。それだけ? 周りの学生は結構ニヤニヤしていた。ざまぁみろって感じだったのかな。私も一応笑ったけど、なにそれ、なにがバカバカしいの? どこ? 表現? ストーリー? 固まった。
 これが私の一年次のゼミの思い出。でもね、先生、その時笑ってましたよ。怒った表情でもなければ悲しくもない。呆れていたのか、笑ってました。
 そんな夫馬先生が先日二十二年間の教授生活を終えられたようです。私は一年生のとき夫馬先生のゼミで本当によかったと思っています。こんなトラウマを植えつけられたけど。
 夫馬先生、覚えていらっしゃいますか? 私はたぶん一生忘れません。
 


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