清水正著『ドストエフスキー「白痴」の世界』(鳥影社)の紹介(7)


この本に収録された『白痴』論は1985年12月23日に書き始め1987年5月11日に書き終えた。すでに二十六、七年も過ぎた。『アンナ・カレーニナ』論を含め、刊行したのが1991年11月。先日久しぶりに読み返したが、今度『清水正ドストエフスキー論全集』第七巻に収録したいと考えている。

清水正著『ドストエフスキー「白痴」の世界』(鳥影社)から内容の一部分を何回かにわたって紹介する


идиот・新しい物語


(二)ムイシュキンとワーシャ・シュムコフ
 ラスコーリニコフに復活の曙光を与えればムイシュキンになると見る評家と、私は全く異なる見解を持つ。『罪と罰』と『白痴』だけを較べて見ても、ラスコーリニコフとムイシュキンの相違性はきわだたない。が、ムイシュキンをドストエフスキーの全作品の系譜の中に置いてみれば、彼ら両者の相違は浮彫りされる。例えばラスコーリニコフの懐疑精神、というよりもその懐疑的な生理は、『地下生活者の手記』の「筆者」のそれ以上に、『弱い心』のワーシャ・シュムコフのそれを受け継いでいる。こんなことを言いはじめると『弱い心』の読者は即座に異議を申し立てるかもしれない。何しろワーシャ・シュムコフはそれこれ懐疑や憎悪や敵意とは無縁な、善良性のかたまりのような人物として設定されているからだ。それでは異議申し立て者に聞こう。何故、この善良性のかたまりのようなワーシャ・シュムコフが発狂したのか、と。
 ワーシャ・シュムコフはその善良性ゆえに、あるいは題名そのものが雄弁に語っているようにその余りにも「弱い心」ゆえに、官吏社会の冷酷な現実の犠牲者とならざるを得なかったのであろうか。そうともいえるだろう。そのことを誰も否定することはできまい。だがそんなこと以上に、ワーシャ・シュムコフの発狂が告発しているのは、彼の唯一の親友アルカージイの“友情”に対してなのだ。同宿人ワーシャの幸福(婚約)に、アルカージイは過剰に反応しすぎるのだ。この過剰な反応、この過剰な愛情が、ワーシャを発狂に追い込んでいくのだ。ワーシャがアルカージイをどれほど憎悪したか、殺意にまでたかまったワーシャの憎悪を疑う者は、も一度この作品を読んでみたらいい。これは私の指摘というよりは、作者自身の指摘である。もしアルカージイがワーシャの幸福に無関心であれば、あるいは無関心を装うことのできる友情で接していれば、ワーシャは発狂を免れていたかもしれないのだ。だが、ワーシャは同宿人アルカージイの押しつけがましい、過剰な“愛”を正面きって拒むことができなかった。何故なら彼は「弱い心」の持ち主だったからだ。この「弱い心」のワーシャに可能だったのは、自己を発狂させることでアルカージイを永劫に拒否することだったのである。
 ここまでくればワーシャ・シュムコフとラスコーリニコフの血縁関係は明白であろう。ワーシャは自ら発狂することで、ラスコーリニコフは殺人を犯すことで、自身に向けられた過剰な“愛”を断ち切ったのである。ラスコーリニコフは非凡人の思想で殺人を犯した訳ではない。「神がなければすべてが許されている」から二人の女性の頭に斧を打ち下した訳でもない。殺人後ラスコーリニコフは一人呟いたはずだ、もしこの俺を愛する人がいなかったらこんなことはおこらなかった、と。ラスコーリニコフを一家の杖とも柱とも頼む、母プリヘーリヤの異様に粘着的な“愛”こそが彼を殺人者へと仕立てたのである。
 ワーシャ・シュムコフは自らが発狂することでアルカージイを徹底的に残酷に拒絶するが、それを予め認識していた訳ではない。彼は認識以前に生理的次元で反応する男である。ラスコーリニコフもこの点に関しては同様である。彼は母プリヘーリヤと妹ドゥーニャを拒絶するために犯行を遂行した、あるいは遂行しなければならなかったなどと考えてはいない。もしラスコーリニコフの耳にこのことをささやいてみても、彼の頑強な抵抗に合うだけである。しかし彼の明晰な頭脳が認識していることなどは小中学生の次元を一歩も越えていない。彼の行動の絶大なるリアリティを支えているのは、彼の懐疑的生理であり、認識以前に反応する精神の深層領域である。マルメラードフとの最初の出会いで、ラスコーリニコフの頭脳は「もうこれ以上行き場所がない……でもどこかへ行かなければならない」という言葉を記憶に留めたであろうが、彼の深層領域ではすでに殺人後のソーニャとの出会いを決定しているのである。つまりマルメラードフとの出会いの時点で、ラスコーリニコフは母と妹とのきずなを断ち切り、ソーニャを選んでいる。つまり肉親とのきずなを断ち切らなければ(つまり老婆アリョーナを殺害しなければ)ソーニャに出会えないことをこの時ラスコーリニコフは深く確信してしまったということだ。息子ロージャの拒絶(殺人)に最も敏感に反応したのは母プリヘーリヤに他ならない。三年ぶりにペテルブルクで再会した息子の拒絶そのものによって、母の息子に対する幻想(期待)の実体(愛を装った自己愛)は皮膚を剥がされたようなヒリヒリした痛覚を伴なって晒される。ラスコーリニコフの頭脳は母に対する復讐を愛と錯覚するかもしれないが、まさにこの時、母の生理は息子の拒絶(復讐)をまともに受けている。母プリヘーリヤは生理が受けとめた息子の拒絶を、自ら隠蔽しようとすることで、逆に緩慢な復讐のえじき(発狂)とならざるをえない。