「毒蛇山荘日記」で小林リズムさんのことに触れている

文芸評論家の山崎行太郎さんがご自身のブログ「毒蛇山荘日記」で小林リズムさんのことに触れているのでそのまま紹介します。山崎行太郎さんは先日、リズムさんが母校・日芸の文芸学科で講義された時にも、出席されておりました。

山崎行太郎

子供は生まれると、いつまでも哺乳瓶をくわえた赤ん坊のままであるかに見えるが、いつの間にか育ち、一人歩きを始めたかと思っていると、アッと思うまもなく、一人前の大人に成長している。菅野雪虫という新人作家が、講談社の文庫型雑誌「IN POCKET」に登場し、一人前の作家として、インタビューを受け、作家になるまでの、いわゆる修行時代について語っている。そこに私の名前が出ている。実は、菅野雪虫さんは、5、6年前、短期間ではあったが、私の小説教室の生徒だったのである。雑誌「IN POCKET」は、普段、読むことも、手に取ることもない。たまたま、立ち寄った書店で、偶然、菅野雪虫さんの名前を見つけ、雑誌を手にとって見ることになったのである。今回、菅野雪虫さんの旧作『天山の巫女ソニン』が講談社文庫で、文庫化されたらしい。そこでインタビューということになったものらしい。そのインタビュー記事の中に、私の名前や私が担当している朝日カルチャーセンターの「小説実作教室」のことが出ているというわけだ。菅野雪虫さんは、こう話している。



《「・・・北日本文学賞を受賞されました」

宮本輝先生が審査員をされている、大人向けの短編小説の賞ですね。

プロを目指すならもっと文章力を身につけねばと思い、三十三歳の時、評論家の山崎行太郎先生が開く教室へ入りました。最初に短編小説の書き方を教わり、そこで書いたもので賞をいただいたんです。大層励みになりました。・・・」》


この発言を読んで、何故かわからないが、私は、我が事のように嬉しかった。私は、小説家志望の女性とすれ違っただけだが、その女性が、いつの間にか一人前の作家に成長し、作家としてインタビューを受けている。しかも、そこに私の名前が。夢のような話だと思う。

さて、今年三月、日大藝術学部を卒業したばかりの小林リズムさんも、一人前のエッセイストとして、大学の特別授業に登場し、堂々と講師役を勤めている。半年で、生徒から先生へ、と大変身、大変貌している。先日、ゼミの指導教授だった山下聖美先生に電話で、「小林リズムさんが特別講義に登場しますが、出席しませんか」と連絡をいただいたので、私も、その日は、自分の『保守論壇亡国論』出版イベントの講演会と重なっていたが、場所が池袋と江古田で近くだったので出席したのである。実は小林リズムさんは、私が日大藝術学部で担当している「エッセイ研究」の生徒の一人だった。むろん、早くから、小林さんの才能や野心を発見していたわけではない。 「美人すぎる女子大生」 (笑)であり、しかも私の独断と偏見に満ち満ちた、無茶苦茶な講義を、大教室の一番後ろの席で、異常に熱心に聞いている学生だったので、注目・記憶していただけである。小林さんは、卒業と同時に、毎日、日大藝術学部の清水正教授の推薦で、「清水正ブログ」(http://d.hatena.ne.jp/shimizumasashi/)に、エッセイを投稿し続けている。「毎日、書き続ける」ことは、簡単なことではない。言うは易しだが、凡人にできることではない。要するに、小林さんも、自分で自分の道を切り拓いて行こうとしているのである。私には、未だに、何処にそれだけのエネルギーと才能と野心が潜んでいるのか分からない。ただ、「やる気のある人」がいると応援したくなるというだけである。

しかし、いずれにしろ、「やれば出来る」とよく言われるが、「やっても出来ない」のが、この世の常である。「やれば出来る」と言える人に、あるいは「やれば出来る」を実践・実行している人に出会うことは嬉しい。

思わず、歌を歌いたくなった。(笑)



《戦う君の歌を~~、

戦わない奴らが笑うだろう ~。

ファイト!!!》(中島みゆき)