十年前の「つげ義春さんとお会いして」を再録

十月初旬には刊行の予定で『日本のマンガ家 つげ義春』の編集・校正に追われている。夏休みは返上。かつてブログ「清水正研究室」で掲載した十年前の「つげ義春さんとお会いして」を再録する。どういうわけかブログに掲載した写真は消失してしまった。


つげ義春さんとお会いして(1)2003年8月10日(日曜)
  調布駅前、喫茶「シャノアール」での三時間
八月八日、昼頃、つげ義春氏に『つげ義春を読め』(鳥影社 二〇〇三年八月)を送るために準備する。大きめの封筒に一冊入れ、ガムテープで封をする。宅配便で送ろうとしたのだが、つげ氏の電話番号が分からない。文芸年鑑を探すがこういうときに限って見つからない。イライラしながら、そうだ104にかけようと思いつき、さっそくかける。
「あ、もしもし清水ですが、『つげ義春を読め』ができましたので一冊さしあげたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」
「え、き、今日ですか」
「よければ、直接お渡ししたいのですが、そちらへはどのように行けばいいんでしょうか」
「ええと、新宿から、京王線に乗り換えて、特急に乗りまして、各駅も出ていますけれど、途中、特急に追い越されますから、必ず各駅電車でなく、特急に乗ってください、調布駅に着いたら、進行方向に向かって後ろの方の出口に出て、進行方向の右側に出てください、するとすぐに電器屋の店があって、その二階にシャノアールという喫茶店がありますから、そこで会いましょう」
「分かりました、ぼくは今我孫子にいますから、これから出て、新宿へは二時頃着くと思いますので、新宿からまた電話します」
「うちからシャノアールまで自転車で五分くらいですけど、雨が降ったりすると歩いて二十分かかりますので……電車は必ず特急に乗って下さい」
宅配便で送るつもりが、急遽、つげ義春氏に直接会うことになった。今日は目覚めてから、ずっとつげ氏に直接会って渡した方がいいような気がしていたので、ああ、その通りになったなと自然に思った。
 
新宿駅に着いた、京王線ホームにたどり着くと、丁度14時ぴったりの特急があったので、さっそくそれに乗り込み、社内から携帯電話でつげ氏に連絡する。調布駅についてトイレに行きたくなる。トイレを探すと、それは進行方向の前の方にあり、仕方なく前に歩く。トイレを示す文字は書かれてあるのだが、どうもそれは駅の外にあるように見える。駅員にシャノアールをある場所を念のために訊くと、若い駅員は改札を左にでると交番があるからそこで聞いたらいいと言う。改札を出て、まずはトイレを探すが、トイレらしきものは見当たらない。どうやらトイレは改札脇の狭い通路を渡った所にあったらしい。時間もないので、交番に寄り、シャノアールを尋ねると、すぐに教えてくれた。歩いて一分もたたないうちに電気店があり、その二階に喫茶シャノアールがあった。階段を上り、ドアを開けると、五六メートル先の正面の席に、すでにつげ氏は座っていた。つげ氏の顔はすでに写真で知っているのですぐ分かった。軽く会釈して席につき、簡単に自己紹介する。バッグの中から『つげ義春を読め』を取り出し、つげ氏に渡す。つげ氏はさっそくペラペラと中身を見る。わたしはアイスコーヒーを頼むとすぐにトイレにかけ込んだ。戻ってくるときも、つげ氏はしげしげと本を覗いていた。
 話ははずんだ。初対面とはいえ、ここ十年の間、断続的につげ義春論を書きつづけていたので、なんか密度の濃いつきあいをしてきた友人のような気さえしてくる。顔はまさにゲンセンカン主人である。ひげの延び具合が、絶妙である。今日はたまたま体調が良いということであった。時間を心配したが、つげ氏はいっこうに疲れた様子を見せない。講談社から初期短編集四冊が出ているので、その点に触れると
「あれは初め全集を出すという話だったんですよ。けど断ったんです。出したくない作品もありますし。それに全集をだすとなると、時間をとられるし、息子の世話もあるので出来ないんです」
「それでは自分の出したい作品だけで、全集出したらどうですか」
「そうすると筑摩書房で出したのと同じになってしまうんで……」
「あの筑摩の全集、評判悪かったですね。近藤さんも、あの全集は酸性紙を使っているのでだめだと言ってましたが。つげさんの本、今度フランスやアメリカでも翻訳されるそうで、いよいよ世界に進出ですね」
「フランスは、ぼくの知っている人が訳すので許可したんですが、アメリカと韓国からの話は断りました」
「もったいないですね。つげさんの作品はフランスやドイツでは評判になると思いますね」
アメリカの場合、どう訳されるか分からないですし、少し不安ですね」
「それなら知っている人に訳させたらどうですか。ぼくの弟子にも博士課程で勉強している優秀な人もいますし、そういう人に訳させていろいろ話ながらやったらいいんですよ」
「二人で訳せばいいのができるかもしれませんね」「昔、ぼくが二十歳の頃、ドストエフスキー研究家の小沼文彦さんの所へ出入りしていたんですが、彼がドストエフスキーを訳した頃はいろいろと言われたそうです。すでに米川正夫訳があるのになぜ新しく訳すのか、といった批判があったそうですが、小沼さんが次々にドストエフスキーを訳されてからはそういうことを言うひとはいなくなったそうです。いろいろあってもいいんじゃないですか。つげさんの作品の訳もいろいろな人が訳して、誰それ訳つげ義春ということでいいんですよ」


つげ義春さんとお会いして(2)
わたしがつげ義春氏に会ったら一番聞きたかったことは、彼がいつどこでドストエフスキーの作品を読んだのかという点であった。この点に関しては、電話や手紙で問い合わせればよいようなものの、わたしはこの点についてはぜひ直接会った時に訊こうと前々から思っていた。

「つげさんはいつ頃ドストエフスキーの作品を読んだんでしょうか」
「ぼくはドストエフスキーはほとんど読んでいないんですよ。『貧しき人々』は読みましたが、『罪と罰』は半分ぐらいまでですね。江戸川乱歩をよく読んでいたんで、ポウは全集を揃えて読みました。『罪と罰』は手塚治虫さんの漫画で読みましたね。全部読まなくても、内容はだいたい知ってました」
つげ義春氏には『罪と罰』というタイトルの作品があり、ドストエフスキーの『罪と罰』は絶対に読んでいるだろうと踏んでいたのだが、あっさりとはずされた。手塚治虫の『罪と罰』は子供向けに描かれた漫画でドストエフスキーのものとは比べ物にならない。わたしは手塚治虫は偉大な秀才とは思うが、今まで天才だと思ったことはない。

「天才はつげ義春手塚治虫は秀才ですね。つげさんの作品はつげさん独自のものですからね。ぼくはドストエフスキー宮沢賢治つげ義春と批評して来ましたが、みんな天才です。つげさんの作品がフランスやドイツで読まれるということはたいへんいいことだと思いますね。『無能の人』とかは日本、東洋を強く感じさせる作品ですし、つげさんの作品が今後、世界のいろいろな所で読まれるようになることはいいことですよ」


つげ義春さんとお会いして(3)
人見知りがはげしいということを聞いていたが、つげさんはよくいろいろなことを話してくれた。これなら大学の「マンガ論」で特別講座に来てもらえるのではないかと思い
「調布から所沢までは遠いですか。夏休みあけに、特別講座に来て学生さんに何か話していただけませんか。講演でなくても、このような対談形式でも結構なんですが」
「……妻が死んで四年半になりますが、それ以来新宿には出掛けていません。今日はわざわざこんな遠くまで来てもらって申し訳ありません」
「江古田はどうですか。江古田だったら近いんじゃないですか」
「昔、漫画を描いている後輩が江古田にいて、江古田には行ったことがありますね」「何年ぐらい前なんですか」「四十年ぐらい前ですかね」
つげさんは、今の生活を自然に楽しんでいるようにも見えたが、本当のところは分からない。つげさんと居ると、ゆったりとした時間のなかにつかっている感じである。
「『チーコ』の最終コマは、これは翌日ということですか」
「そうですね、明るいですからね」
「ぼくは初め、この最終コマは奥さんが帰ってきたその日の夜だと思っていたんですよ。このスコップを持って庭を探す場面は、帰って直ぐのことだと思ったんですね。ですから、この最終コマは本来真っ黒にベタ塗りされるべきコマで、白っぽく描かれているのはマンガの一つの描法と理解していたんですが……、まあ、このように読むとこのように解釈できるということですが。この佐渡人形が黒く描かれているコマですが、これは下が狭くなっているので、読者の視点は漫画家の青年とチーコが戯れている所に集中して、下に描かれているこの不気味な佐渡人形を見落としてしまうんですね。そこで別に下を広くしたコマ絵を作ってみましたが、こうすると読者の目線は否応もなくこのベタ塗りされた佐渡人形を見ることになるんですね。まあ、こんなことを授業で言いますと、学生さんたちはオオッなんてびっくりしています。ところで『チーコ』とか『別離』は、あれ本当にあったことなんですか」
「ほとんどあったことですね」
「『チーコ』で奥さんが、電車で帰って来なかったことがありますね。あの夜、実は奥さんは他の男と浮気したと思うか、と学生に聞くと半分ぐらいはそうだと言いますね。実際はどうだったんですか」
「そんなことはありませんね」
「そうですか。それじゃ、奥さんが浮気したというのは、あの最終コマの後ということですか」「『別離』で女が浮気しますが、シェパードの方じゃないですね」
「あの本屋によく来ていたという学生ですね、冴えない顔した……」
「そうですね」
「つげさんは他の女性と関係したということはなかったんですか」
「なかったですね、描くことに精一杯でしたからね」
この言葉を聞いた時になんか胸にジーンと来るものがあった。
「『チーコ』で奥さんが駅の階段を昇っていく場面がありますが、このタタタタという昇り方は、絶対にまた戻ってくる昇り方ですね。どんなに男のことを怨んで、二度と戻ってなんかくるもんか、と思っても、結局戻ってきてしまう女の階段の昇り方ですよね。つげさんはどこまで意識して描かれたんですか」
「いや、そこまでは意識していなかったですね」
「作者が、自分の作品をすべて予め分かっていて描くというのは、かえって駄目ですね」
「そうですね」
「作者が無意識のうちに描いて、結果として、言われてみればそうだな、というのがいいんですよね。作者が自分の作品についてすべて分かっている、というのは、パズルと同じで予め答えが用意されているわけですからつまらないですね。批評は作者にも分からないことを発見させるということですから」
 『つげ義春を読め』の  頁、「『盲刃』を読む」の所を開き
「このタイトルはなんとお読みするんですか」
「もうじん」
「この楠木という男、なかなか曲者ですね」
「そうですね」
「盲の剣士が武蔵に殺された後、この楠木、奥さんを妾かなんかにしそうですね」・・  頁、『運命』の浪人とその妻の顔を見ながら「死を覚悟したこの二人の顔は実に美しいですね。特にこの男、ドングリ眼にダンゴ鼻でこんなに美しい顔をしていますからね」
話ははずみ、時間もそうとう経った。
「お時間は大丈夫ですか」
「はい、大丈夫です」
「それではもう一杯コーヒーを頼みましょうか」
「はい」コーヒーを頼み、再び話を続ける。
「写真を撮らせてもらえますか」
「ここは写真は駄目なんです」
「それでは帰りに外でお願いします」
午後二時半から五時半までの三時間、いろいろな話をしたが、やはりつげ氏の漫画に関して、そのディティールにまで踏み込んだ話をしたいという気持ちが起こった。
「特装本が出た時に、また担当者と来ますので宜しくお願いします。今日はありがとうございました」
外に出ると、つげさんは愛用の自転車の籠の中に『つげ義春を読め』と『「マンガ論」へようこそ』を入れた。わたしは記念に写真を三枚ほど撮らせていただいた。自転車に乗って帰っていくつげさんの姿は、まるで『ゲンセンカン主人』の中の主人公のようであった。わたしは、束の間、つげ漫画の世界に居たのではないかと思ったほどだ。久しぶりにゆったりとした時間を過ごさせてもらい、何か得した気分で、わたしは調布駅から新宿へと向かった。